2012年12月4日火曜日
独立国家のつくりかた(2012)
坂口恭平:建築家。2001年早稲田大学工学部建築学科卒。
路上生活者は、その日常の中で、独自の価値観を構築している。本を読むには図書館へ行く。水を飲むには公園へいけば良い。都会では、食料調達にも事欠かない。それはもはや、価値観というより、我々と全く異なった『レイヤー』に生きているといえるのではないか。そもそも、家賃というものが何故必要なのだろうか?土地に何故お金を払うのか?生存権を謳った憲法は本当にそれを発揮しているといえるのか?そもそも、色々おかしいんじゃないか?—人間として、その根源的な問いから、作者の旅が始まる。
プライベートとパブリックとは明確に区別されるのではなく、部分的に重なっている、すなわち『レイヤー』として3次元的に捉えることが出来るのではないか、といった話など。既存の価値観を否定して、全く新しい形で社会をとらえる試行が綴られている。先程の『レイヤー』論は、私に次のプレゼンを想起させた。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/jennifer_pahlka_coding_a_better_government.html
法的な意味での公的機関への期待が薄れ、実際その効力も希薄化する中、新たなパブリックとしての、いわゆる『賢い群衆』の萌芽に興奮を覚える。これについては、後日、リンダ・クラットン『WORK SHIFT』のレビューでもまた書きたいと思う。
著者は3次元的な思考スキームを多用していて(彼の本業は建築家だ)、パブリック論という抽象的な議題に対して、素人でも容易に揮える武器を与えてくれる。自分の思考体系に飽きてしまった読者にとっても、上質な刺激になるだろう。
補足だが、著者は絵も描く。彼のドローイングの中でも、特に、男性の頭部が都市化して3次元的に無秩序に広がっているモチーフは、人間の生命力と無限の思考を最もシンプルな形で表現しているといえる。私はもの凄く好きである。
最後に、この本に出てくる『態度経済』というイデオロギーが私は本当に好きだ。そして、知らず知らずのうちにこれの上に生きてきたようだ。『態度経済』って何なの、そう少しでも思った貴方、実際にこの本を手に取られることを切に願う。
2012年12月2日日曜日
自分の中に毒を持て(1993)
著者:岡本太郎−芸術家
「道で仏に会えば、仏を殺せ」−よく解らないけれどもなんだか凄みのあるこの言葉に、僕は惹かれた。生きるということは、自分を殺すことらしい。
自己啓発本を超えた自己『爆発』本である。よく『魂を踊らせろ』というフレーズが出てきて、僕はそれを感覚的にわかったつもりで居た。左右の側面をぶち抜いて、直線に飛んで貫いて行くことだと思っていた。しかしそれは違うらしい。彼に言わせれば、それはそれで甘えた考えだと言う。解らなくもないのだ。しかしそこで、その甘えた自分を殺す、そこで血を吐いて、ようやく魂を踊らすことが出来るのだという。そうだろう、その通りだろうと今なら解るのだ。生きることは辛いことだ。
加えて、彼は何か創造をすることが、人生を実りあるものにすると言っている。消費の空しさは、僕も皆も本当はよく知っている。もう完成度は気にしない。少なくともしばらくは、常に生み続けようと思う。自分と愛する人の人生に、色を付けよう。
混沌と苦悩を経て、いつか大きく羽化したい人に、是非読んでほしい一冊。
2012年10月31日水曜日
ゼロ年代の想像力(2008)
宇野常寛:1978年生。評論家。立命館大学文学部卒。
まとめ
1980年代以降、相対主義が浸透し、吾々は大きな物語を失った。それにどう対処していくか考えたのが、90年代の想像力であった。碇シンジは、社会的自己実現(エヴァに乗ること)を拒否し、自己像(キャラ)の承認を求めて引きこもる。何かをすれば誰かを傷つけるので、「何もしない」ことを選択する価値観である。碇シンジは、人類補完計画を自らの手で推し進めることで、無條件な承認を得ようとするが、最終的に劇場版ではそれを否定する。ラストシーンにおいて、アスカに拒絶される(「キモチワルイ」)のは、「何もしない」選択は間違っているけれども、他者とのコミュニケーションはやはり痛みを生む、ということを象徴している。
ポスト・エヴァ的に大量に出現した「セカイ系」 ― キミとボクの関係がセカイの危機に直結するようなストーリィ ― は、アスカによる拒絶を嫌い、病的な、往往にしてトラウマを抱えた少女に全承認される筋を辿る。
ゼロ年代の想像力は、これらから一歩進んだものだ。引きこもるのではなく、現実をサヴァイヴすることを選択する。大きな物語が否定され、現実が虚無であることを受け入れた上で、敢えて、決断する。「決断主義」こそがゼロ年代の想像力をよく現している。
ポストモダンが深く進行していない状況では、ドラゴンボール的な数値化された序列の階段を登っていくのが正義であり、成長物語である。90年代以降、大きな物語が失われ、データベースから小さな物語を読み込む吾々は、そういった絶対的な強者の存在を肯定できない。すなわち、「ジョジョの奇妙な冒険」的な、お互いの弱点を、自らの一芸で突き合う、カードゲーム的な状況になる。
そこで、前出のサヴァイヴ感が、「DEATH NOTE」における夜神月的な決断主義を要請する。大きな価値などない、物語を失った吾々だが、引きこもってはおられず、サヴァイヴし、無価値の中から、選びとる決断をしなければならないのだ。ネットの登場によって、吾々は自分が好む小さな物語をデータベースから読み込み、住み分けることが可能になった。しかし、住み分けられるからこそ、敵味方をつくって対立するのである。「バトルロワイヤル」の舞台である学校に象徴されるように、現実において、小さい物語同士は対立する。虚無主義を織り込み済みで、現実をどうサヴァイヴしていくのか。
この本について
おもしろかった。「データベース消費」など、東浩紀の議論を今一度まとめて、2008年版に更新した作品となっている。アニメ、ドラマ、小説などから現代の状況を捉え、吾々がいま、どう生きるべきか問う。
誰だったか、こじつけの本だ、と本書を評していたが、それも否定はしない。つっこもうと思ったらいくらでもできる。だが、これだけまとまった議論を展開できるのには感服するしかない。仮面ライダーをみたくたった。
結局、著者の狙いは、サブカルと呼ばれている文化を、消費する価値も、議論する価値もないと考えている人間に、「どうだ、あんたらが馬鹿にしてるものは、これだけ奥が深いんだぞ」というだけのものなのかもしれない。
2012年10月15日月曜日
最終戦争論(1942)
要約
戦争には二種類あり、それらは持久戦争と決戦戦争である。前者は政治的なやりとりと傭兵、後者は武力戦及び国民皆兵を特徴とする。歴史の循環として、今迄持久戦争と決戦戦争は交互に現れてきた。西洋においては、決戦(古代ギリシア・ローマ)→持久(帝政ローマ中期から末期)→基督教の支配する暗黒時代(中世)→持久(ルネサンス以降)→決戦(仏国革命以降)→持久(第一次大戦)。これらの変化は、兵器の技術的進化や社会の変化が因となっている。では、いま飛ぶ鳥を落とす勢いのナチスドイツは、決戦戦争の時代への突入を意味するかというと、そうではない。
作戦の変化にともなって、戦争をする単位も、大隊、中隊、小隊、分隊さらには個人と小さくなってきている。個人単位の全国民同士が、次の決戦戦争でぶつかりあう。さらに空軍の導入によって戦場は三次元に広がる。その次は無いのである。つまり、次の決戦戦争で戦争は終わり、世界は統一を迎える。いままでのサイクルが1000,300,125年ときているから、その次は数十年後ということが推測できる。
上の予言は日蓮の教えから導くことも可能である。仏教では時代を正法・像法・末法の三つにわけ、それぞれ千年、千年、万年の計一万二千年。正法、像法及び末法のはじめの五百年の、計二千五百年については、大集経という形で釈迦の予言が伝わっている。それが終わった頃、日蓮聖人が現れ、以降の予言をした。「日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る」というのだ。しかし最近、日蓮の予言が全部解釈され終わったところで、教義に疑義が挟まれた。仏滅の年代測定が違っていて、日蓮は実は像法の人だったという。仏滅が二千四百数十年前であるという最近の説にたてば、日蓮のいう未曾有の大戦争は、数十年後に現れ、不思議と上の理論が導いた結果に整合する。
この本について
本書は莞爾が1940年5月に行った講演を筆記したものである。要旨は上に書いた通りで、数十年後の最終戦争と、後の世界統一を予言している。
おもしろい。軍人だけあって、兵器の技術的な側面や、実務の観点から話ができるので、学者が話すとおもしろくなさそうなものでも、飽きずに読める。
おそらく石原莞爾が高く評価されているのは、日米での最終戦争を予言し、空軍の活躍を予想したなど、先見の明があったと認められているからであろう。莞爾を此処まで偉くしたのは歴史の偶然かもしれない。先見の明は、ともすればペテン師になる。参謀・思想家として非常に優秀であったのは事実だろうが、合理主義的実務家である甘粕正彦が「明後日はあるが、明日がない」と評したというのも、首肯ける。
莞爾は理論家だということを聞く。私はそうは思わない。莞爾は思想家であって、理論家ではない。持久戦争・決戦戦争では、原因が異なる変化について、年数でざっくり割っているのを、私は理論だと思わない。日蓮のくだりは、矛盾も甚だしい。ただ、頭がよかったのは確かなようで、自らの「理論」の非合理な部分は、「仏の神通力」などといって意識的にパトスで包み込んでいる。これが思想家たる所以である。
最終戦争論(青空文庫)
2012年9月24日月曜日
The Good Lobbyist's Guide (2003)
この本について
全く脈絡も何もないが、おもしろそうなので手にとってみた。(ニュージーランドの)ロビイストのための手引書である。実用書なので要約は省く。
ロビイングの極意とは、一言でいうと、議員との共通の利益を見つけ出し、それを売り込むことだ。選挙区制が1996年に変革されてからロビイングの仕方も変わり、それまでの小選挙区制では大臣相手にするものだったのが、比例代表との併用制になったので議員へのロビイングも有効になった。本書では平議員へのロビイングを中心に解説されている。
ニュージーランドでは酒類業界(または其の反対勢力)がもっとも大きなロビイング集団らしい。小選挙区制では大政党の党議拘束が厳しく、平議員が自らの裁量で投票できるのはドラッグ、性、死刑制度くらいなもので、これらがロビイングの主な領域だった。比例代表を一部導入したことで、連立政府が成立する可能性が高まり、複数与党が互の腹を読み合う機会が増えたため、ロビイングの重要性と有效性が高まったのだ。
本書では議員のことを「無能」呼ばわりしないこと(はじめから喧嘩腰のロビイングは成功しない)、議事堂の部屋を借りて議員と面会するとき、代金は全てロビイスト側につけられること、その他、議員の習性、かれらが何を考えているかなどの記述が続く。
私は国内のロビイング活動についての知識は全くないが、この本を読んでいてなにかしっくりこないことがあった。気づいてみれば、それはニュージーランドの国家としての規模が圧倒的に小さいからなのだ。一院制で議席は120ほど。全人口は400万強(!)。小さな国の、ロビイングというあまり注目を浴びない話題の、本。おもしろかったが、一体誰が読むのだろう。
2012年9月10日月曜日
甘粕正彦ー乱心の曠野(2010)
要約
この本について
2012年8月25日土曜日
ヒトラー・ユーゲント(2001)
要約
シーラハは党内での地位を向上させるため、自ら志願し、前線へ行くことになる。帰省後ユーゲントはアクスマンという人物がその組織を握った。アクスマンは文化的で非暴力的なシーラハとは異なり、ユーゲントの軍事利用をも辞さない考えの持主だった。戦争も終わりに近づいて、絶望的な状況になってくると、ユーゲントはベルリン防衛に駆り出され、彼らはヒトラー自殺後、アクスマンの連合軍による確保後も「狼人部隊」として戦い続けた。
この本について
君たち、わがユーゲントよ、君たちは将来のドイツである。それは空虚な観念でも、色あせた図式でもない。君たちはわれわれの血から出た血、われわれの肉から出た肉、われわれの精神から出た精神である。君たちはわれわれの民族の生の継続である。(p.54)
戦債の返済が将来世代の大きな負担になり、主権国家として当然もつべき軍事力を制限された国家に、若者は何を思ったのか。未来のみえない国家が与える、日常的でただ退屈な教育に、彼らは何を感じたのか。
ヒトラーの演説は、今でも我々の心を打つ。否、今だからこそ心を打つ。なぜ彼らがアドルフ・ヒトラーという熱狂に身を投じたのか。ヒトラーは、生きる意味を失いふわふわと漂っている若者たちを、その言葉と約束でしっかりと地に引き止めたのだ。その意味を我々がわからないはずがない。
しかし、我々はナチズムの結末も既に知っている。ナチスの圧倒的暴力が何をもたらしたのか知っている。我々はナチスに何を学び、そして何を学ばないのか。いまの日本において、再考する意義があると思う。
2012年7月25日水曜日
二十世紀の政治思想(1996)
古代ギリシア
ロマン主義運動においては、ホメロス時代に理想、「起源」をもとめることが多かった。それは、「そこで疎外された人間関係を知らない神聖なそれが見出されると考えられたからであった」(p.1)。こうした透明なコミュニケーションが成立していたのは、そこに「人間の作為を超えた普遍的で必然的な秩序」すなわち 宇宙 の秩序、又は後に 自然 と呼ばれるようになったものである。ここではそれらを「 客観的秩序 」と呼ぶ。それは物質的世界の秩序であると同時に道徳的秩序でもある。
ポリスはphysisの秩序を所与のものとして、それを自覚化した法秩序に基づく共同体であった。その成立はアルカイック期に「主観性・内面性、つまり自己意識の獲得とそれに伴う他者の出現によって迎えた共同体の危機を、『自然』という自明な秩序の確認と 市民 という公共性の意識の形成によって克服しようとする企て」(p.2)であった。
ここで正義とは、即ち客観的秩序を現れさせることであった。自分の役割が自分に求めることを行う、そしてそれを行うにおいて優れていることが、すなわち善いことなのだ。
エウリピデスまで時代が下ると、「『市民的凡用性』に発言の場が与えられ」(p.5)、かれらは道徳的に堕落する。それは則ち「 存在 」と「 現われ 」が乖離してしまったことを意味する。そうして「自己を現れさせる市民が消滅」すれば「『自然』と『法』の一致という信念も動揺せざるをえない」(p.5)。
オレステイア三部作やオイディプス王には、「現れ」への根本的不信が底流している。「『存在』と『現われ』の乖離は、この『現われ』の世界を統べる客観的な秩序(logos)への不信を意味し、それはさらに言葉(logos)への不信を惹き起こす」(p.7)。
此処においてプラトンは、「存在」と「現われ」を峻別する二分法を打ちたて、以後西洋世界を二千年もの間支配することになる「真理」による政治が開始されるのだ。
ニーチェ
ニーチェが云う神の死は、すなわち形而上学的信仰の放棄である。それが意味するのは、「超感性的な世界、諸理念、神、道徳律、理性の権威、進歩、最大多数の者どもの幸福、文化、文明が、それらの立て直す力を喪失して虚ろになるという事実」(ハイデガーの孫引き p.11)である。
「『背後世界』の廃棄は、ルサンチマンにとらわれ虚栄心に爛れた『 自我』の放棄に直結する」(p.11)。 自我は、理性などそれを形而上学的に支えるものがなければ成立し得ないからだ。
初期のニーチェにおいては、現われは「美的 仮象」として提示される。それは乃ち、「自他未分離な混沌とした生命力に他ならないディオニュソス的なものが、アポロン的知性によって秩序づけられ形式を付与されることを通して現われる姿である」(p.13)。ロマン主義の影響が色濃い当時において、個人主義・合理主義の批判を美的な現われの評価という観点から行なっている点に既に形而上学批判の片鱗をみることができる。「自他未分離な『自然』への『郷愁』がみられる」(p.14)点でロマン主義の範疇にあるが。
後期ニーチェのディオニュソス概念は、かなり異なったものになっている。ギリシア人が偉大だったのは、ディオニュソス的なものを変換して「現象」へもたらしたことではなく、その二元論を超越していたことにあるのだ。形而上学的な二元論を捨て去ることで、アポロン的なものが退く、あるいはディオニュソス的なものと融合する。つまり、「美的仮象は、ディオニュソス的なものの自己変容に他ならない」(p.15)。
ニーチェによる形而上学の廃棄は以下の論点を含む(pp.16-18):
- すべての言説が、身体によって縛られた観察者の視点からくだされる「解釈」にすぎず、「あるものすべては主観的である」ということがすでに解釈であるから、主観というものも否定されている。
- 普遍的な視点をもつと吹聴するものは、真理・道徳と呼称するものを言語によって固定化し、言葉による説得で他者に強制し、自らの隠された支配欲を満足させているだけである。
- 基督教的、または自由主義的進歩を標榜する歴史観の根拠としての、その目的という観念を放逐する。背後世界が当為の根拠として人間を縛っているのと同様に、歴史に目的を設定することはその目的に向かわせることで人間を拘束する。
- 当為に押しつぶされ支配欲にかられた形而上学的な「 自我(Ich)」が否定される。そこに誕生する 自己(Selbst) はどう自らを作るのか。善悪の基準、自らを犠牲にすべき目的、自然な発源を待つべき本質もない。そこには、自らのディオニュソス的な「力への意志」を美的仮象へともたらす道しか残されていないのだ。
とりあえずいまはこれだけで許してください。ちょっと難しすぎる。
2012年7月9日月曜日
登山の誕生(2001)
小泉武栄:自然地理学者。東京学芸大学卒、東京教育大学修士。理学博士。東京学芸大学教育学部教授。
要約
何が人を山に登らしめるのか。それは、何かを征服したいという欲望なのか。それとも、道への憧れなのか。はたまた、危険を顧みず、冒険することへの欲求だろうか。おそらく、現代の登山家たちには、それら全てがあてはまるだろう。しかし、人類はつねに登山をしてきたわけではない。現在と過去を比較することで、登山の本質がみえてくるはずだ。
古代ギリシアにおいて、人々は学問を大成した。かれらは好奇心に満ち溢れていたのである。しかし、古代ギリシア人は山に登らなかった。山は危険とされ、むしろ嫌われた。そうした中、ユダヤ教徒は山に関心をもった。預言者は山で神と交信する。
中世においては、キリスト教信仰のために人々の好奇心は抑圧された。山々は、魔女や怪物の住む恐ろし場所だった。しかし、西洋的な理性が実現されるにしたがって、人々は自然を恐れなくなった。発展した都市文化から逃れ、心を休める場所として自然が意識されるようになる。こうした自然のなかで、山も例外ではなくなった。文学は山を美しいものとして描写するようになる。そして、山頂を征服する現代の登山が徐々に盛んになってくる(ここの飛躍は、正直よくわからなかった。読みなおしてみよう)。
日本の場合は事情が全く異なる。万葉集にはすでに、男女が連れ立って、娯楽のための登山を行なっている様子が推察される句がいくつもある。仏教が伝来し、修行のために山に入る者や、空海の高野山に代表されるように、山を開いて寺社を建てる者もあらわれてくる。仏教以前からも山岳信仰というものはあったようだ。
江戸時代にはいると、娯楽としての登山が、再び盛んに行われるようになる。娯楽とは別に、成年になる儀式として登山を行わせることも多かった。この場合は、地域で決められた山頂を制することが目標とされる。明治維新後は、さまざまな西洋文化とともに西洋流の登山も輸入されてきた。しかし、日本アルプスなど、信仰・娯楽登山の対象とされていなかった地域に登る場合は、20世紀前半であっても、鉱物を探しに行くのか、などと不思議がられたという。
この本について
登山というものに殆ど興味がない。友人になんで登山がするのか、ときいたときに、要約の冒頭のような答えが返ってきたのだが、なかなか納得できなかったのでこの本を読んでみた。読んでからしばらくたっていて、現物が手元にないので、要約は間違っている箇所があるかもしれない。
要約は殆ど、登山の歴史的な淵源についてだが、ほんとうは歴代の登山家たちのエピソードも多く掲載されている、登山好きの本なのかもしれない。なぜ、わたしは山に登るのか、というのを自身で不思議に思った者、自分のする行為に深い理解を求める者のための書物。
2012年6月26日火曜日
子どもの宇宙(1987)
河合隼雄:心理学者。臨床心理学の大家で日本におけるユング研究の第一人者であった。故人。
要約
我々はこども時代の豊かな宇宙を忘れていくことで大人になっていくのかもしれない。 子どもは家出をしたがる。家出は、文字通り自立への意志、そして個としての主張である。家出の直接のきっかけは、親の兄弟間の取り扱いが不公平なことに不平をもったからだとか、そういったことだが、意識しない原因として、日常が日常であること、があげられる。つまり、自分が世界でひとりの自分なのに、日常がそれを許してくれない事態を憂うのである。アイデンティティの確立が家出のひとつの要因となりうる。
家出といえない家出もある。それは、家がそもそも家でない場合である。このとき、子どもは家の不在を訴えているのである。そうして暴力団など擬似家族へとのめりこんでいく。
子どもにとって秘密というのは大きな意味をもつ。秘密をもつことは、つまり「わたしだけが知っている」ことだから、わたしの独自性を直接担保するものなのだ。アイデンティティは他者との関係でうまれてくるが、他者は思い通りになってくれないので、自分の存在を証明してくれるには不安定である。一方、秘密はわたしだけのもので、他人に依存しないから、よほどしっかりとしたアイデンティティの支えとなるのである。
秘密は保持していることに意味がある一方、それを誰かと共有したくもある。ここにアイデンティティの難しさがある。ひとりで抱えることに価値があるし、それを共有することにも価値があるのだ。
子どもは動物を通して重要な経験をすることがある。ある動物が身代わりとなって死ぬことで、子どもが以前の自分と決別して成長することもある。親が子に急激な改善を願うきもちには、相手の死を思うこころが宿っている。そして、子どもは自らを投影していた動物が代わりに死ぬことで、かわることができる。
子どもには、ファンタジーに引きこもる時期がある。それは、心を支える内的充実として、その年代の子どもに必要なものなのであって、この場合、子どもは「さなぎ」の時期にいるといえる。だから、それを決して邪魔してはならない。
児童文学で、主人公が時空をこえた旅をする類は多い。その際は、「あちらの世界」への「通路」が用意される場合がほとんどである。「通路」によってわたしたちは自分たちの世界が「あちらの世界」と地続きであることを感じる。「こちらの世界」は「あちらの世界」に裏打ちされており、大人はふだん忙しさにかまけて「こちらの世界」しかみていない。そうして、子どもの豊かな「あちらの世界」を軽視してしまうのである。
導者があらわれ、子どもを導く児童文学も多くある。かれらは往々にしてトリックスター的性質を備えており、主人公の存在そのものは大切にしているが、イデオロギーには価値を置かない。逆に子どもが老人の導者となる場合もある。
この本について
さいきん要約をつくろうとする度に思うのだが、新書とはいえ一つの明確な主張をもった本というのは少ない。本書も例外ではなく、その魅力は著者の豊富なライブラリから選ばれた数々の児童書の紹介と、それの読解である。なのでここにまとめてある内容は、そもそも著者の意図したところではないかもしれないし、断片的でわかりにくくもある。
かつて、子どもは、小さな大人であった、ということを高校の世界史で習った覚えがある。いま、我々にとって、子どもというのは希望に満ち溢れた存在であり、大人になる前の「さなぎ」である。子どもは、自らの中に、やわらかい、傷つきやすい、想像力豊かな宇宙をもっている。大人はそれを大事にしなければいけない、というのが本書の云わんとする処だ。
わたしは理論派な文章の方が読みやすいと感じる質だが、筋が通っている本は、面白くないし、多くの場合において幾度も読み返すということをしない(する必要がないし、したくもない)。本書は、どちらかというと著者の「心を打っ」たエピソードだったり、「感動した」話を集めたものであって、読者も一緒に心を震わすことを期待されている。だからおもしろいし、紹介された児童書はすべて手にとってみたくなる。
2012年5月26日土曜日
官僚制批判の論理と心理(2011)
野口雅弘:1969年生まれの政治学者。早稲田大学で学士、修士を取得した後、ボン大学哲学部にてPh.D。現在は立命館大学で教鞭をとられている。専門は政治思想史。
要約の要約
著者の意図を損ねないよう、極力詳しく要約をつくったので長くなってしまった。それくらいカッツリした議論を端々まで行き渡らせている良書である。自分で書いた要約を今一度読み返してみたが、やっぱり長い笑。なので、要約は別にページをつくって、ここでは要約の要約を記す。
さあ、ではこれは何を書いた本なのか?
本書の主題は、いわずもがなではあるが「なぜ人々は官僚制を批判するのか」である。しかし、もうひとつ重要な議論として、新自由主義批判が散見されるのも見逃せない。新自由主義が官僚制批判を利用している、または新自由主義が官僚制批判に姿をかえている、という批判である。
官僚制批判は、「官僚制」という語の誕生とともに生まれたといっていい。「官僚制」というのは、カラフルで、画一性・合理性を嫌うロマン主義の潮流のなかで発見されたのだ。功利的な目的のために統制されることへの反発が、日本における90年代以降の反官僚の風潮の根底にはある。
官僚制はデモクラシーの敵である。より多くのデモクラシーを求めるならば、決定権を人民から奪取する官僚制は批判されるべきでなのだ。パターナリスティックな性質をもつ官僚制は、人々の政治的未成熟を引き起こす。しかし、ここで注意しなければいけないのは、デモクラシーは官僚制を必要とする、ということである。肥大化した組織は、寡頭支配・官僚制がなければ決定できないのである。
いま、自由主義的資本主義は終焉し、政府の経済への介入が大前提とされている。この「組織された資本主義」においては、政府は市場に介入することだけでなく、しないことへの非難もうけることになる。それまで中立性を売りにしてきた官僚制は、とたんに恣意化・政治化するのである。大衆の忠誠は失われ、「正当性の危機」が訪れる。
これを回避するには、経済成長による隠蔽か、官僚制を高度に専門化し、「こうだから当然こうである」という領域を広げることである。90年代まで日本で官僚制批判が起こらなかったことの一因としては、日本が高度経済成長を経験しており、これに官僚が大きく貢献しているという認識があったからだろう。
新自由主義はこの官僚制批判を絡めとる。「組織された資本主義」における政府の正当性批判は、ではいっそ政治は市場へ介入しなければいいという、小さな政府論へと向かうのである。
官僚制が「鉄の檻」である、という官僚制成立当初からの批判は、非合理に振る舞うカリスマを待望することにつながる。これは何も新しい議論ではない。セクショナリズムにともなって、責任を負うべき中心が欠けている、という日本政治批判は辻清明の記述に既にみられる。
鉄の檻のメタファーは既に通用せず、時代はフレキシビリティ、そして「リキッド・モダニティ」(バウマン)である。カリスマ待望論は現実を的確に認識できていない、すこしずれた議論なのだ。
この本について
昨今の官僚制批判を、よく聞かれる官僚擁護の立場からではなく、政治思想という道具を使って分析する。それだけでは、おそらく著者が最終章にテーゼとしてまとめた数ページで終わってしまうかもしれないが、本書は「政治思想入門」としての資格も充分に有していると思う。なぜ人々が官僚制を批判するのか、という問いに政治思想の立場から答えるのみではなく、批判思想の淵源やその周辺、ウェーバー再考を中心とした、他の問いを考えるためのヒントを鮮やかに織り交ぜている。久々に出会ったぷりっぷりの良書である。なお、政治思想のみではなく、官僚制という主題から行政学や他の政治学に大きく係わる分析も多い。
裏を返せば、一本道の議論がすっと通っている訳ではないことも確かである。結論らしい結論に出会うことなく終わる章もある。だが、これは読者により広い視点をもって、新たな分野・書物に挑戦してほしいという、著者の願いなのだろう。肯定的に受け止める。
はじめ読み終えたときは、内容の濃さに戸惑いを覚え、なかなか整理がつかなかったが、改めて読み、まとめてみると、やはり非常に濃い。そして、官僚制のみではなく他の政治分野、思想分野へと誘う仕掛けが散りばめられているのである。政治思想・社会学の巨匠に限って引用されているのは、おそらく訳なしではない。デュルケムなどは本論に全く関係ないが、とりあげられている。
政治思想から官僚制をみるというのはおもしろい切り口だし、行政学や政治過程論からの分析とは違った角度から、官僚制「批判」にメスをいれるというのは、昨今の政治状況を把握する上で非常に有益だと感じた。これによって現実の政治を、地に足がついた立場から批判できるのである。ところどころ専門的すぎるきらいはあるが、そこを耐え忍んで、是非一読することをお勧めする。
2012年4月28日土曜日
暴力団(2011)
溝口敦:ノンフィクション作家。暴力団について取材・執筆を長年行っているらしい。
要約
暴力団対策法で指定されたものを「指定暴力団」と呼ぶ。これが22団体。暴力団は、ピラミッドが何層にも重なった構造をしている。五次団体まである暴力団もある。山口組(神戸)、稲川会(東京)、住吉会(東京)を警察庁は特に重視している。
山口組は全暴力団の構成員数の半分弱をしめる。本家には六人の舎弟、80人の若衆がいる。舎弟とは組長の弟、若衆はこどもという位置づけである。かれらは直系組長。若衆の中で長男にあたるのが若頭。直系組長たちは、毎月100万弱の会費を本部におさめる。これはじぶんたちが活動できるのが「代紋」のおかげと考えるからである。さらに積立金を30万、日用品の購入を50万以上おこなっている。さらに、なかまの直系組長が引退するときには100万積む。ただ、直系組長たちも、二次団体の組員から月々20−30万ずつ月会費を集めている。出世には二つ道があり、ひとつは暴力団同士の抗争で名をあげること、もうひとつは金をたくさん上納することである。対立相手の組員を殺傷し、逮捕され、無事刑期を終えて出所したときによい待遇を受けられる。が、これも貧乏な組では無理なのだ。
シノギ(資金獲得活動)には覚醒剤、恐喝、賭博、ノミ行為などがある。覚醒剤は表向きには禁止されているが、儲かるので上層部も見て見ぬ振りをしているようだ。末端価格は、原産地の出荷価格の150倍なのである。野球賭博の胴元をやってたこともある。賭博の胴元は、もめたときに警察に届ける訳にもいかないので「強く、資金力があり、金の貸し借りにきちんとした信用がある」暴力団しかできなかったのである。闇カジノというのもある。はやる店なら一晩一億の金が動き、5%が入る。キャバクラやクラブのホステスを使って客を連れ込ませるのである。みかじめ料というのもある。暴力団排除条例で払ったほうも罰せられるようになったので、ビルのオーナーがとりたてて上納する、などしている。解体や産廃処理でももうける。
暴力団は中卒や高卒が多い。暴走族あがりというのもかつては多かった。組に入れば、部屋住みになる。こづかいはもらえるが、とてもやっていけないので、兄貴分のシノギについていく。そうして組長から親子の盃をかわすまでになる。これは省略されることも多いらしい。博徒系はテキ屋系に比べて儀式がちゃんとしていないらしい。正式な組員になれば、組長に金を差し出すことになる。刺青は掘らなければならないわけではない。が、入れる人は入れる、そしてC型肝炎になるのである。組を抜けるのは大変で、指詰めを迫られることもあるし、お金を積まなければいけなかったりする。
警察とは仲良くやってきた。暴力団対策法は、警察のためにつくったともいわれている。だが、暴力団は警察との関係を断とうとしており、失敗に終わった?事件が起きたとき、上は捕まえないから下手人をだせ、というような交渉が行われる。芸能はもとより暴力団とのつながりが強い。場内整理に便利だし、チケットを売りさばいて赤字を防ぐなどにも使える。ただ政治的な影響力はあまりもっていないようだ。暴力団がなくならないのは、警察における暴力団対策の部署をなくしたくないからだ。
この本について
とくにコメントすることはない。雑多な知識が詰め込まれた読み物であって、分析ではないからだ。いってみれば新聞記事の寄せ集めのようなもので、読んで一通り暴力団のことをわかったような気がするだけのものである。
Jポップとは何か(2005)
烏賀陽弘道:ジャーナリスト。京大経済学部卒。朝日新聞入社からアエラの編集になる。
要約
Jポップとは、音楽上の分類を表す言葉ではない。これは、マーケティングのためにつくられた言葉である。1988年、J-WAVEというFMラジオ局が開局した。テープへの録音を前提とせず、常にJ-WAVEを流しておけばいい、という趣旨の番組編成で、DJは英語話者で、世界中から選りすぐりの楽曲を絶え間なく流した。都会的で多文化的なブランドを確立した。当初、日本の楽曲を流さなかったJ-WAVEに対して、レコード会社が攻勢をかけ、J-WAVEっぽい日本の曲を流すことで合意した。ここで生まれたネーミングがJポップである。しかし、ここに明確な基準はなく、山下達郎やサザンはOKで、アリスやチャゲアスは違う、というような曖昧なものだった。どの洋楽に影響を受けたかすぐにわかる邦楽、というくらいの選定だったようだ。文化的にも日本が世界に比肩するという幻想を日本人にみさせることで、売り上げを獲得する。JRやJTの誕生。そしてJポップの登場によって、歌謡曲や邦楽が死を迎える。歌謡曲、ロック、フォークなどを解体してシャッフルした。1992年のJリーグ以降、J〜という言い方が定着した。
タワーレコードが80年に日本に進出。輸入レコードの販売を行い、日本のレコード会社は低迷。そこに登場したのがCDである。フィリップスとソニーの共同開発によって誕生。フィリップスは60分にしようとしたが、ソニーは第九が入るよう74分にすると主張し、それから逆算して12センチの規格に落ち着いた。CBSソニー静岡工場で世界で初めてプレスされたCDはジョエルのニューヨーク52番街だったそうだ。16万だったプレイヤー価格を5万に引き下げてCDを普及させた。安くなったので、皆がプレイヤーを買い、CDを所持する時代になった。女性や若者も。この帰結として、ガールズポップが売れた。そして、作り手にもデジタル化の波は押し寄せる。たとえばピッチ修正、シーケンサー、サンプラーやMIDI。制作環境にも変化が表れ、スタジオは小さく、コストダウン。音楽は商品になり、音の個性がなくなっていく。
テレビが音楽の主要な舞台へ。CMタイアップの手法が誕生。吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などのフォーク勢は当初テレビへの出演を拒否していた。矢沢永吉などもこの系統。しかし、資生堂のCMタイアップや、ベストテンなどでそういった風潮に変化。そして時代はサザンオールスターズへ。彼らはロックバンドでありながらテレビにでまくった。MTVからミュージックビデオの時代へと移っていく。マイケルジャクソンなど。全体の流れは聴覚型から視覚型へ。それが顕著に現れたのが、安室奈美恵などのダンス音楽、そしてヴィジュアル系。音楽産業は、音楽業界、テレビ、広告代理店のJポップ産業複合体へ。そうして、レコード会社ではなく芸能プロダクションが力をもつようになっていった。リスク回避の体質や、ヒットサイクルの短期化が鮮明になっていく。売れる大物はCMに使われて、さらに売れる。一方売れない音楽家はずっと売れないまま。
カラオケと音楽。それまでスナックなどが中心だったカラオケだが、80年代後半のカラオケボックス登場以来、若者へ普及。爆発的な浸透によって、シングルとアルバムの順番が入れ替わる。パンク→バンドブーム→カラオケの流れ。一貫して自己表現というのがある。社会への反発ではないのだ。総中流化から個性の渇望へ。パルコは渋谷消費空間=広告空間をつくった。そしてピチカート・ファイヴやコーネリアスなどの、渋谷系といわれる極めて日本色の弱い音楽が人気を博していく。彼らは、Jポップ誕生の際に欠けていた共通の音楽性に一定程度の形を与えることになる。Jポップの自己愛ファンタジーは誕生以降つねに健在で、英語詞をとりいれたものが多くなり、疑似国際性を売りにした宇多田ヒカル、椎名林檎、ラルク・アン・シエル、ラブ・サイケデリコなどが人気を博す。
日本は世界で二番目に大きな音楽市場をもっている。個人としてのCD購買量は第四位だが人口が大きいぶん市場も大きくなる。そして、大量の海外音楽が輸入されている。その額は全体の四分の一。一方、JASRACが回収している海外からの著作権料は少ないし、ほとんどがアニメ音楽である。日本では、米国と違って極めて均一な市場であるため、プロモーション効果が大きい。CDは再販制のため、高いまま。音楽は公共財という意識がなく、FM局の数は少ないし、レンタルだって業界からの強い反発をなんとかはねのけて実現した。ヒットをつくる、という体質へ。スキャットマン・ジョンやカーディガンズなど。音楽以外の部分でうっていく。
世紀をまたいで、Jポップは活気を失った。レコード会社の負担が過度になって、新人デビューが削られていく。景気が冷え込み、少子化が進む。10代を対象に施策を打ってきたから他の年齢層むけのコンテンツがなかった。そこでリバイバルである。流行に貪欲な層が、テレビからネットへと移った影響もある。収入源は着メロやDVDへ。モンゴル800など、インディーズの台頭というのもある。もともと著作権料を払う受け皿の団体はなかったが、整備されていった。政府行事への参画というのもある。これも、Jポップの巨大産業化がなせるわざだった。製品外競争に陥った日本の音楽産業は、今後どうなるのか。
この本について
80年代以降の日本音楽産業略史である。Jポップとは何かという問いには、はじめの章で殆ど答えてしまっているのだが、そこから日本の音楽産業に対する興味へと読者を誘う仕掛けが憎い。いままでなんとなく変化を肌で感じてきたものに説明が付されるとわくわくする。メディアや技術と、音楽産業のつながりがスッと整理されているのである。
ただ、2005年に出版された書物なので、いま扱うには古すぎる。着メロが大きな市場になっているという記述をみて、思わず笑ってしまった。インターネットを介しての音楽配信よりも大きくとりあげられているのだ。世界の音楽市場は、ナップスターの登場によって大きく変わった。そして、iTunes以降、その流れは決定的になったものだと思う。
坂本龍一が、CDの売り上げだけではミスチルみたいな大物以外食っていけなくなったので、アーティストはライブまわりを強いられている、ということをいっていた。テープ×FMラジオを、CDの違法コピーが代替したという議論もあるので、一概にはいえないが、ウィニーなどのP2Pでの音楽共有が盛んになって以降、その音楽産業への影響は遥かにエアチェックを超えるようになっただろう。これは日本に限ったことではない。ウェブ(およびブロードバンド)の普及、創作の簡易化・安価化など、テクノロジーの革新によって、音楽業界は根本的から変化している。そして、業界全体への影響とともに、音楽家自身にも変化が表れてきており、わたしはウェブ以降のアーティストを二つに分類できると考えている。
ひとつはウェブ世代アーティストである。彼らは、Myspaceをはじめ、Vimeo、ニコニコ動画など、ウェブ上のメディアによって自らの製作を世に広める。たとえば米国のハッピーロックバンド、「OKGo」がブレイクしたきっかけは、低予算のミュージックビデオ(家庭用ビデオカメラ代のみ?笑)だった。しかし、ウェブ上での成功をうけて、CDを配り、収益をあげるという構造は、2007年当時いっしょだった。が、それが変わるのも時間の問題だと思う。レディオヘッドが新作を「購買者が価格を決める」方式で(もちろん0円というのも可能)ダウンロード販売する試みを行ったのは既に5年前だ。彼らはこの方式を二度と採用せず、次の作品"The King of Limbs"からは定価のダウンロード販売か、CDか、レコードか、またはアート作品などが同梱されている"newspaper album"か選択できるようにした。わたしは紙ジャケットのCDを購入したが、それで中身が気に入ったら"newspaper album"を買うつもりだった。
音楽はデータであり、データに高いお金を払う人間はいない、ということに音楽業界もそろそろ気づくべきなのだ。東浩紀のいうように、「ひとは、手に取れるパッケージが〔ママ〕経験にしか金を払わない」。ニコニコ動画が生んだスター、神聖かまってちゃんのフロントマン「の子」は、CDの創作に関心がなく、新作はひとりで仕上げて次々に自らのサイトにアップロードしていく。もちろん無料で。ガレージバンドで全楽器を演奏し、初音ミクに歌わせて、ニコニコ動画で発表している人間は収益化を求めているだろうか?音楽で食っていこうと思っているだろうか?
もうひとつはライブアーティストである。ホワイトストライプスなどはその典型だろうし、U2やミューズなどもライブを軸に活動を行って、CDも売れに売れた。先程とりあげたレディオヘッドも充実した生演奏ライブを精力的に提供するが、彼らはウェブ配信、音楽データのパッケージ販売を総てこなす、希有な次世代アーティストである。坂本龍一曰く、CDを買わないがライブに来る人はたくさんいるそうだ。CDを「買わない」だけで「きいてない」わけではないと思うが、とにかくライブをやらなければ食っていけないし、ライブがよければ食っていけるのである。これは「ライブという体験」にはお金を払う価値を見いだす余地があると人々が認識しているということだ。
坂本龍一はYMO時代から、シーケンサーの自動演奏などを使ったライブを行ってきた。テクノミュージックのライブというのは、いってしまえば何で行くのかよくわからない。ダフトパンクやファットボーイスリムのライブに行くのと、彼らの音楽をかけるクラブにいくのとはどう違うというのか?ゴリラズや初音ミクのライブに足を運ぶひとも多くいるので、「体験としてのライブ」がテクノロジーによって損なわれるとは一概にいえないが、坂本龍一が、「体験性」の色濃いピアノ演奏ツアーを近年精力的に行っているのは示唆的だと思う。
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2012/5/3
追記:
ふと思ったが、商業ロックやヘヴィメタルへの「代替」として生まれたオルタナティヴ・ロックはその存在の意味からいってJポップと似通っているように思う。「alternative」という語になんらの意味は無いし、音楽的には、むしろバラバラである。オルタナティヴが台頭したといえるのは、ニルヴァーナ以降でJポップの始まりと重なる。ロック的な要素を少しでももっていたら、Coldplayなんかもオルタナティヴにいれてしまう昨今のロック事情はJポップのそれと非常に似通っているように思える。
2012年4月27日金曜日
私の個人主義(1914)
要約
大学を卒業後、学習院に就職する、という話があった。しかし、それは有耶無耶になってしまって、本日まで学習院にはいったことはなかった。結局高等師範にいった。一年経って伊予の学校へ。そこも一年だけ。次は熊本の高等学校。熊本はだいぶ長かったが、あるとき文部省から英国留学の話がきた。何の目的ももたずに外国に行ったからって、別に国家のために役に立つことはなかろうと思って、断るつもりだったが、結局いった。
英文学という学問をやった。3年勉強して、なんなのかよくわからない間に終わってしまった。なりゆきで教師になったが、英語は教えられるけども、職業としての教師に興味はないし、「何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらな」かった。学問をしたいにはしたいが、なにをすればよいのかわからない。留学中は、いくら本を読んでも腹に落ちなかった。そうして、文学というものはなんであるか、自分で根本から考えざるを得ないと悟ったのである。
日本の学問は、借りてきたものだった。どこぞの英国人がいったことを、どうだ、こういってるぞ、というだけで仕事ができたのである。それは他人本位であって、他人のものであるのにはかわりない。外国人だから、自分の批評が本場の批評と違っていたら、引け目を感じるのは仕方ない。しかし、違っているからどちらが正しいということではなくて、その矛盾を説明すること、それこそに意味がある。こうして「自己本位」を手に入れた。文学論などは失敗してしまったが、この四文字はまだわたしの中で強く生きている。諸君らへの助言としては、「もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思う」。
さて、学習院の若者たちは、もともと権力と金を手に入れるという順当なルートにのっている。自分の好きなことで個性を発展させるうち、それを他人にも適用させようとする誘惑が働く。ときにそれは権力と金をもってする。しかし、他人にも個性を尊重するべきだ。義務を伴わない権力などというものはない。金力についても同様である。「自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない」し、「自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならない」。つまり、「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もない」。
この講演について
これは、要約をみてもわかるように、漱石が学習院でおこなった講演をテクストにしたものである。「赤シャツ」のエピソードなど、彼自身の人生をふりかえって、これから生きる上でなにを心懸けるべきか、若者に語りかける。
ふたつ主題があって、ひとつは、思ったことはやりなさい、ということ。漱石の人生そのものだ。そしてもうひとつが個人主義である。自由が義務を伴う、という英国の風潮に日本も見習うべきだとする。日本人は自由の意味を履き違えている、という主張である。
自由について少し考えてみたが、うまくまとまらなかったので、ここには記さない。政治的な自由と同列に論じようとしたが、どうやら漱石の主張はこれとはまったく違ったところにあるようである。
私の個人主義(青空文庫)
2012年4月9日月曜日
現代日本の開化(1911)
要約
昨今よくいわれている「開化」について講演する。ひととおりの定義として、「開化は人間活力の発現の経路である」。そしてそれには二通りあって、ひとつは積極的なもの、もうひとつは消極的なものである。積極的なものとは、活力をより消耗しようとする運動、そして消極的なものは活力の消耗を節約しようとする運動である。前者は道楽、後者は義務。
道楽という活力消耗を伸ばそうとする、これも開化。そして義務を減らそうとする、これも開化である。前者は例えば、観光地にエレベーターがつくなど。後者はといえば、人力車が、自転車、汽車になるといった具合。このふたつは、我らが生まれながらにもっている性質としない限り、説明ができない。人類が自然と開化の方向に向かうのである。しかし、開化によって世の中の苦痛が少なくなる訳ではない。むしろ、いまは生きるか死ぬかではなく、生きるか生きるかの争いとなって、尚のこと生きにくい。
以上は一般の開化の話。日本の開化というのはまた別であり、これは外から強いられた開化である。西洋が百年かけたのを、十年で行おうってもんだから、「皮相上滑りの開化」になってしまう。波が波を生み出すのではなく、外からきた波に無理やり乗らされているだけなのである。
この本について
わたしの中学・高校の国語教師は、漱石を読まずに日本語を語るべきでないと考える人であった。授業時間の関係で漱石をとりあげることはなかったが、「こころ」は是非読みなさいというので、そのときは特に何を思うでもなく読んだ。彼の口癖は、日本人は自由に義務が付随することを解っていない、精神が近代化しきっていない、というものだったが、その元となったのがこの講演なのは明白である。そんなもの日本人に限ったことではないだろう、と当時わたしは考えていたが、今となってはそんな気もする。
さて、これは1911年に和歌山で行われた漱石の講演を文字に起こしたものである。漱石はこのときの体験をもとに「行人」の一部を書いたらしい。わたしは青空文庫という有り難いサイトを利用して読ませてもらった。講演なので、冗談がよく入り、また謙遜や、その場で思いついた例なんかも、小説とは違って、好い。
真新しい議論ではないが、果たして百年前はどうだったのか。果たして日本人は近代化されたのか。いまでも通用するような気もするし、近代以降に生活する吾々にとっては古臭い議論のようにもきこえる。少し話しぶりが冗漫で、まとめてみるとつまりは上の要約以上でも以下でもないので、明治の知識人がどのような話し方をしていたのか、ということに興味がない限り読む必要はあまりないのかもしれない。
10/7/2012改
現代日本の開化(青空文庫)
2012年3月28日水曜日
創造の方法学(1979)
要約
米国における大学教育では、小論文が重視され、主題に関する従来の学説の検討、分析、引用文献の呈示が求められる。さらに進んだら仮説の提出、その検証までも求められるかもしれない。これまでに生産された学術的成果に何かひとつでも付け加えることが重視される。
問題解決のための基本的な要素は、「『原因』と『結果』とを明瞭に定めて、問題の論理を組み立てる方法」のことである。原因と結果の因果関係を、「なぜ」という疑問に答える形で説明すること。命題(proposition)とは、判断を言葉で表したもの。そして、因果関係に関する二つの要素の論理的な関係は、仮説(hypothesis)と呼ぶ。仮説とは、結果となる現象が一定の方向に変化するような、条件に関する立言statementと定義できる。
記述(description)と説明(explanation)とは区別されるべきである。説明の方がより高度な研究。記述は現象を客観的に記録する。そこに「なぜ」にこたえるものではない。説明は、なぜ、という疑問から、結果として扱われる現象と、その原因となるはずの現象とを論理的に関係させる行為である。仮説の複合体をモデルという。現実のいくつかの特徴をぬきとってつくった模型のことである。
まずどの現象を説明しようか考える。そして、それの原因が何かを考える。まず最初に思いつくアイディアを大切にする。これは我々の固有の経験による場合が多いから、独自の見解になっておもしろい仮説を提出できる可能性があるからだ。
われわれがふだん事実(fact)とよぶのは、現実を概念(concept)によってきりとったものである。概念の修正、または新たな概念の創出こそが知的創造において極めて重要。実際には概念を具体化した指標を定めることが必要になってくる。作業定義では仮説、
そして一般的概念では理論となる。
結果は従属変数(dependent variable)、原因は独立変数(independent variable)とふつうよばれる。変数とは、数値をもった概念のこと。従属変数と独立変数の間には、時間的な前後関係がある。二つの変数は共変関係にある。独立変数以外の変数は、ふつう変化のないことが前提とされる。人工的に変化が統制された変数、あるいは変化しないと仮定された変数はパラメター(parameter)と呼ばれる。実験の場合は、実験群(experimental group)と統制群(control group)というふたつのできる限り等質な集団をつくる。
コンピュータによるサーヴェイ・リサーチの章は割愛。多変量解析が説明的である、など。
前章を受けて、質的方法も重要であることを説く。組織的比較例証法(systematic comparative illustration)によって、社会科学的に、質的分析を試みることができる。概念的に変数を操作し、因果関係についての推論を行い、歴史的資料によって、その推論を実証しようとする。引用される実例は、恣意的にならざるを得ない。
参加観察(participant observation)という方法もある。現場で、よい情報提供者と信頼できる関係を築く。事例がひとつということは、変数間の関係が固定で、その数値に変化がないということ。科学的には初歩的な調査法である。逸脱事例の調査は、比較例証と似ている。人類学もそう。
この本について
社会科学をやるなら、まずこれを読みなさいといって教授に薦められた本。1979年の発行から30刷以上を数える、社会科学方法論の日本における古典。買った後にパラパラとしか読んでいなかったので、端から読んでみた。現実をどう切り取って、捉えるか、という社会科学の真髄を解説したもの。かなりガチガチの方法論の記述が多いので、要約が引用ばかりになってしまったのは申し訳ない。
著者自身の留学経験が豊富に盛り込まれており、自慢話にきこえるようなきらいもある。アメリカ絶対主義的な感じもあるかもしれない。が、まあ話をわかりやすくしてるっちゃあしてる。同じ方法論でも留学先の学部で読まされたエヴェラなどと比べて具体例がわかりやすい。ちなみにエヴェラはほんとうにつまらなかった(笑)。日本の学部でも、社会科学的な方法を重視する教授の講義では、方法論に一コマ程割かれていた覚えがあるが、行政学の教授は、ヴェーバーの例など、この本を大いに参考にしているんじゃないかと思う。その教授はキング・コヘイン・ヴァーバも引用していたようだ。政治科学の方法論に限っていえば、私としては有斐閣アルマ「比較政治制度論」の序がわかりやすく、まとまっていたと思う。
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17/10/2012改
2012年3月24日土曜日
首長の暴走 あくね問題の政治学(2011)
前提
2008年から2011年にかけて鹿児島県阿久根市長を務めた竹原信一氏の市政について、多角的に分析する試み。阿久根市は人口二万強の小さな町であり、これが全国に知れ渡るようになったのは竹原氏による破天荒な政治手法による。
ブログ市長竹原信一の市政 (彼のブログ「住民至上主義)」
小泉構造改革が産み出した地方の疲弊が背景にある(地方交付税交付金の大幅削減など)。竹原は二年半市議として、斎藤市政を批判。12年務めた前市長の後任が一本化できないまま、三つ巴の選挙へ。接戦を制し、市長に。選挙期間中にもブログを更新、「改革派」を自認←市役所人件費・市議の削減、市民サービスの拡充を公約。
落としたい議員ネット投票、市職員給与公開問題、一連の騒動にマスコミは好意的であった。市議会事務局職員人事を自ら行うも、これは市議会議長に任免権があり理由を付さない降格人事も違法である。税金を使っている意識を高めるため、各課に総人件費を記した張り紙をするも、これがすべて剥がされる事件が発生。不信任→失職→出直し選挙→僅差で国交省出身の田中勇一に勝利
組合の追放、張り紙事件の犯人は懲戒解雇処分に。解雇された職員は不当解雇を訴えて裁判に訴えるも、地裁命令に市長は従わず。障害者蔑視(?)のブログ記事事件。医療の進歩で淘汰されるべき人間が生き残っていると指摘。課税に関する住民情報の提出を要求→担当者の拒否には自らの人事権を示唆することで対応。
マスコミ5社を議場から退去させるという事件が起こる。議会は混乱し、マスコミを退場させない議会に市長は激昂、欠席、以後議会を招集せず。それから、立て続けの専決処分を行う。ボーナスの半減、花火規制条例など。専決処分の違法性を指摘した上申書(ほぼ全職員が署名)はシュレッダーにかけられる。こうした自体に国でも懸念が表明される。鹿児島県から助言及び勧告されるも、市長はこれを無視。同じ頃、後にリコール運動の中核を担う「阿久根の将来を考える会」が発足する。
副市長に元愛媛県警仙波敏郎が専決処分で選任。任命の適法性は甚だ疑問。副市長の進言を受け入れるという形で議会を再び開催。通常、議会の同意が必要な副市長人事は否決されるも、それによって人事を事実上承認したと市長に看做される(もう全く意味がわからない)。市長派の議員がたてこもる、議会籠城事件が発生。リコール→出直し市長選→リコール運動中心人物の西平氏に僅差で敗れる。
問題点
劇場型政治→しかし感情的な対立より一部マスコミ排除。自分の意図が思った通りに報道されないことへの憤り。ブログへ映像を無断で添付したことへの抗議に腹を立てて取材拒否、など。ブログを旧メディアが取り上げ、宣伝した、という相乗効果があった。ブログの読者が若年層であることに対し竹原氏の支持者は高齢者が中心。
ラベリングの政治、抽象化された政治、感情の政治。そしてなにより、マスコミが団結して抗わなかったこと。風変わりな市長について報じれば視聴率がとれる、という安直な考えだったんじゃないか?
政治の文法が崩壊しつつある。ジェラシーの政治。要するに世の中の不平等感を煽って人気をとる。二元代表制。権力のチェックは地方自治体の首長では限界がある。だから政治主導は控えるべき。
政治家に限ったことではなく、世論の傾向として新自由主義的心性がある。これが浸透して、改革のためならルールを変えても構わないという空気がある。そしてこれが敵を設定してたたく、ジェラシーの政治へと通じる。自治と民主主義、人権との関係が問われるべき。地方議会を機能させることも大事。「他者や異なった意見を尊重し相互に信頼する態度」に留意しなければならない。地域メディアの重要性。使命感もって、ちゃんと取材に来い、と。
この本について
「何が起こったのか」と「何が問題なのか」と大きく二部にわかれており、前半では主に時系列順で竹原氏の市政を追い、後半ではその地方自治としての問題点を、限られた出典をはさみつつ分析する。ですます調で、非常に読みやすい。前半部は、(おそらく)新聞記事などを元にした、事件、市政の経緯などを記述的に紹介している。阿久根問題入門としてちょうど好い。
現代政治についての記述は、特に批判的な意味合いがこめられた場合、歴史的な文脈、根拠を省いて(意図的にか、単に調べないのか)論じられる場合が多いと思う。そのぶん著者は政治史が専門らしく、批判の際の比較事例も幅が広く、歴史的な文脈に阿久根問題を埋め込んで説明されているので説得力がある。限られた出典というのは、要するに数が少ないということで、一般の読者が興味をもちやすいような文献で、実際に手にとってみるのも悪くないな、というような良書ばかりが選ばれている。
竹原市政全体について、様々な角度で考察するのを目的としている故、政治の議論としては多少パッチィなものを感じた。ただこれも恐らく著者の意図する処で、竹原市政からどのような議論をしたらよいのか、今後の議論に竹原市政から何を学べるのか、というもののとっかかりにすればよい、くらいな考えなのかもしれない。そういうことなら、よい本だと思うし、目的は遂げられているとも思う。
少し気になるのが、前半部で著者が竹原氏の一挙手一投足すべてを批判してしまうような勢いであるという処である。先程のような著者の意図があるならば、それはそれでよいのかもしれないが、如何にも著者が竹原氏を嫌っているようで、理論的な整合性があまり判然しない箇所もある。同じことをやっても、橋下氏に対しては非難が降らないようなのも批判される対象になっているような気もする。同じ政治学者であっても、橋下氏を部分的に支持しながら(東国原氏については知らんが)、竹原氏については政治家として話しにならない、というような判断をする人が多いと思う。
何が竹原氏をここまで嫌われ者にするのか。これは、ひとつひとつの政策の問題ではない。違法な状態をつくりだし、それを意に介さない彼の人間性を疑問視している、というのが本当のところではないか?ポピュリスト的な政治を批判する意見は当然あるだろう。しかし、竹原市政で問題なのは、違法状態が放置されたこと、そして「首長の暴走」を止める術が不足していたこと、これである。
2012年3月14日水曜日
じぶん・この不思議な存在(1996)
鷲田清一 : 哲学者。専門は臨床哲学、倫理学。世の中との関わりを重視する立場。現象学者。京都大学文学部出身、関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長を経て、現在大谷大学教授。著書多数。
要約
「じぶん」は、考えれば考えるほど不確かな存在である。「じぶん」を探そうとして、自分に固有の特性を探そうとすると、ほとんどの場合それは自らに特有のものではない。結局「わたし」とは、我々が個人としての「私的可能性を失って、社会の一般的な秩序のなかにじぶんをうまく挿入していくこと」なのである。心理学者のロナルド・レイン曰く「ありえたかもしれないじぶんを棄てていくこと」が即ち、じぶんになることである。彼はこれを「エクスタシーの放棄」と呼ぶ。この場合のエクスタシーは「忘我」、つまり自分でなくなる、他の誰かになる、ということを意味する。それを放棄するのだから、別のものになる可能性を捨て去って、社会的にこうであるべき「じぶん」に自らを同化させるということである。これを行うには、他人の模倣をする、という前提がある。
自己が希薄になると、規則に従って思考、行動することで、みずからを規定しようとする。これが異常な度合いであるとき、過剰な合理主義とよぶ。もうひとつ、じぶん以外のものを明確にすることで、じぶん自身の輪郭をはっきりさせようとすることもある。そのために、我々は意味の境界に固執する。しかし、これもまた曖昧なものだ。「わたしはだれ?」という問いには、「わたしをかたちづくっている差異の軸線をそのつど具体的なコンテクストに則して検証していくところでしか答えられない(p.49)」。
上のような規則性、排他性とは裏腹に、我々には、じぶんを溶かしてしまいたい、という欲求も存在する。
上述のレイン曰く「自己のアイデンティティとは、自分が何者であるかを、自己に語って聞かせる説話(ストーリー)である」。過剰な合理主義は、他者との関係から十分な自己が配給されなかったことの帰結。逆説的だが、自らに語るストーリーは、それがしっかりしたものであればあるほど、もろく壊れやすい人生をつくる。なぜなら、それが崩れたときに紡ぎ直す必要があるからだ。同一のシナリオにいなければいけない、という強迫観念が、ときに我々を不安に陥れる。じぶんを失い、定義できないものにすることも、ときには必要である。
物語は、共有されなくてはいけない。そしてそれは、共同体の文化に根ざしているもので、他人のものと同じ生地でできている。そう言った意味で他者との関係をとおして「じぶん」は形成される。
他者と精神的に近づいたとき、「じぶん」は強く意識される。それに対し、「してあげる」ことは相手を客体化すること。他者のなかに位置を占めていない不安。「他者」の「他者」としてのじぶん。他者を自分に理解可能なものとしておしこめる。しかし、それはわたしの影にしかすぎない。実際は自らも逆規定されており、そうやって自らのアイデンティティを補強してもらっている。しかし「してあげる」意識はこれを無視してしまう。大切なのは、じぶんは規定できえないものだという意識をもち、相手を規定できないことにいらだたないこと。
この本について
不確かな存在である「じぶん」入門。いくつかの選ばれた研究と、筆者自身の経験より、誰もが抱く「わたしってだれ?」という疑問について考えていく。もちろんそこに答えはないし、著者もそのことを明言しているが、ひとつの分析として非常におもしろいし、平易な語彙をこころがけており、読みやすい。字は大きく、頁数も少ないが、読者に一方的に知識を投げる本ではないので、咀嚼しながら読了するにはそれなりの時間がかかった。一本道の議論ではなく、読み終えた後は雑多な印象が否めないが、そこで出会う小話・例はどれも興味深く、一層の思索へと誘うものばかりである。著者自身が大事にする哲学と日常との係わりがよく考えられている。
わたしはいつも読書をするとき、そこに一片の真実を読みとろうと、そして残りの嘘をなんとかして剥ぎ取ろうとしながら読んでいる。大抵の書物はそこにひとつの真実もないし、むしろそんなものあってたまるか、なのだが、この本については疑いを差し挟む余地がなかった。それはとても危険なことで、この本がわたしの弱みにつけこんだということであり、そんなわたしにはこの本を正当に評価し得ないと思う。よって、以下の考察はこの書物をどうにか批判しようと試みたものである。
この本では「じぶん」を内に探すことの無意味性、他者との係わりが重要である、ということがひとつの主題と言って好いと思う。そのなかで、我々が日々覚える様々な感情を「じぶん探し」に取り込み、説明を加えていく。上述したように、それはとても説得性の高いもので、世の中を「じぶん探し」という断面でスパッと切ってみることができるように思える。それほど「じぶん探し」は大きなテーマなのだろう。むしろ、「なんでも」説明できてしまうようにもみえる…
理論としての不適切性は、その両義性からも読み取れる。我々は自己を確立したく思い、それが不連続だと不安になる。一方、我々は「じぶん」を失いたいという願望も、もちあわせているのだ。これはそういうものだから仕方ない、ということもできるし、そもそもこの両義性は理論の欠陥を表すという解釈もできると思う。
まあ、そんなことはないんだけれども。揺らぎ、両義性こそが現象学のエッセンスであるのだ(この分野については不案内なので間違っていたらご指摘願います)。上の指摘はこじつけだし、まったく的外れなのはわたし自身承知している。わたしがこのことについて今まで考えないでおこうとしていたこと、そうやって揺さぶられることがこの本への評価を曖昧なものにしてしまう。いや、むしろその事実こそがこの本を評価しているということなのかもしれない。いづれにせよ、この本は時を経た後、再び読まなければいけないのは確かである。
10/7/2012改