2012年4月9日月曜日

現代日本の開化(1911)

夏目漱石:日本を代表する小説家。本名夏目金之助。1867年生まれ、1916年没。解説は不要かもしれない。明治期を代表する知識人であり、新しい表現を多く創りだした。



要約


昨今よくいわれている「開化」について講演する。ひととおりの定義として、「開化は人間活力の発現の経路である」。そしてそれには二通りあって、ひとつは積極的なもの、もうひとつは消極的なものである。積極的なものとは、活力をより消耗しようとする運動、そして消極的なものは活力の消耗を節約しようとする運動である。前者は道楽、後者は義務。

道楽という活力消耗を伸ばそうとする、これも開化。そして義務を減らそうとする、これも開化である。前者は例えば、観光地にエレベーターがつくなど。後者はといえば、人力車が、自転車、汽車になるといった具合。このふたつは、我らが生まれながらにもっている性質としない限り、説明ができない。人類が自然と開化の方向に向かうのである。しかし、開化によって世の中の苦痛が少なくなる訳ではない。むしろ、いまは生きるか死ぬかではなく、生きるか生きるかの争いとなって、尚のこと生きにくい。

以上は一般の開化の話。日本の開化というのはまた別であり、これは外から強いられた開化である。西洋が百年かけたのを、十年で行おうってもんだから、「皮相上滑りの開化」になってしまう。波が波を生み出すのではなく、外からきた波に無理やり乗らされているだけなのである。



この本について


わたしの中学・高校の国語教師は、漱石を読まずに日本語を語るべきでないと考える人であった。授業時間の関係で漱石をとりあげることはなかったが、「こころ」は是非読みなさいというので、そのときは特に何を思うでもなく読んだ。彼の口癖は、日本人は自由に義務が付随することを解っていない、精神が近代化しきっていない、というものだったが、その元となったのがこの講演なのは明白である。そんなもの日本人に限ったことではないだろう、と当時わたしは考えていたが、今となってはそんな気もする。

さて、これは1911年に和歌山で行われた漱石の講演を文字に起こしたものである。漱石はこのときの体験をもとに「行人」の一部を書いたらしい。わたしは青空文庫という有り難いサイトを利用して読ませてもらった。講演なので、冗談がよく入り、また謙遜や、その場で思いついた例なんかも、小説とは違って、好い。

真新しい議論ではないが、果たして百年前はどうだったのか。果たして日本人は近代化されたのか。いまでも通用するような気もするし、近代以降に生活する吾々にとっては古臭い議論のようにもきこえる。少し話しぶりが冗漫で、まとめてみるとつまりは上の要約以上でも以下でもないので、明治の知識人がどのような話し方をしていたのか、ということに興味がない限り読む必要はあまりないのかもしれない。

10/7/2012改


現代日本の開化(青空文庫)

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