2012年4月27日金曜日

私の個人主義(1914)

夏目漱石:日本を代表する小説家。



要約


大学を卒業後、学習院に就職する、という話があった。しかし、それは有耶無耶になってしまって、本日まで学習院にはいったことはなかった。結局高等師範にいった。一年経って伊予の学校へ。そこも一年だけ。次は熊本の高等学校。熊本はだいぶ長かったが、あるとき文部省から英国留学の話がきた。何の目的ももたずに外国に行ったからって、別に国家のために役に立つことはなかろうと思って、断るつもりだったが、結局いった。

英文学という学問をやった。3年勉強して、なんなのかよくわからない間に終わってしまった。なりゆきで教師になったが、英語は教えられるけども、職業としての教師に興味はないし、「何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらな」かった。学問をしたいにはしたいが、なにをすればよいのかわからない。留学中は、いくら本を読んでも腹に落ちなかった。そうして、文学というものはなんであるか、自分で根本から考えざるを得ないと悟ったのである。

日本の学問は、借りてきたものだった。どこぞの英国人がいったことを、どうだ、こういってるぞ、というだけで仕事ができたのである。それは他人本位であって、他人のものであるのにはかわりない。外国人だから、自分の批評が本場の批評と違っていたら、引け目を感じるのは仕方ない。しかし、違っているからどちらが正しいということではなくて、その矛盾を説明すること、それこそに意味がある。こうして「自己本位」を手に入れた。文学論などは失敗してしまったが、この四文字はまだわたしの中で強く生きている。諸君らへの助言としては、「もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思う」。

さて、学習院の若者たちは、もともと権力と金を手に入れるという順当なルートにのっている。自分の好きなことで個性を発展させるうち、それを他人にも適用させようとする誘惑が働く。ときにそれは権力と金をもってする。しかし、他人にも個性を尊重するべきだ。義務を伴わない権力などというものはない。金力についても同様である。「自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない」し、「自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならない」。つまり、「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もない」。



この講演について


これは、要約をみてもわかるように、漱石が学習院でおこなった講演をテクストにしたものである。「赤シャツ」のエピソードなど、彼自身の人生をふりかえって、これから生きる上でなにを心懸けるべきか、若者に語りかける。

ふたつ主題があって、ひとつは、思ったことはやりなさい、ということ。漱石の人生そのものだ。そしてもうひとつが個人主義である。自由が義務を伴う、という英国の風潮に日本も見習うべきだとする。日本人は自由の意味を履き違えている、という主張である。

自由について少し考えてみたが、うまくまとまらなかったので、ここには記さない。政治的な自由と同列に論じようとしたが、どうやら漱石の主張はこれとはまったく違ったところにあるようである。


私の個人主義(青空文庫)

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