2012年8月25日土曜日

ヒトラー・ユーゲント(2001)

平井正:東大文学部卒の学者。

要約


ヒトラー・ユーゲントとは、ナチ党の青少年組織である。

20世紀初頭のロマン主義的な反社会・非政治運動として開始されたワンダーフォーゲル・青年活動がその起源で、もともとは民謡をうたったり、キャンプをしたりする、青少年だけで構成され、運営される組織なのである。第一次大戦後、青年運動は個人主義から集団主義・民族主義へと移行し、ナチ党に共鳴する青年運動も自発的にできあがる。

1903年にレンクという少年が突撃隊予備軍として青少年を組織した。当時ナチ党は弱小政党だったこともあり、その青少年部も質素なもので、発足の会に集まったのはわずか17名であった。その後、グルーバーという少年の努力によって「大ドイツ青少年運動」は拡大し、1926年は正式に「ヒトラー・ユーゲント」と改称された。

バルドゥーア・フォン・シーラハの登場とともに、ヒトラー・ユーゲントは急速にその組織を整えていく。シーラハは自ら民謡を作詞するなど、高い教養を備えた文化人であり、ヒトラー・ユーゲントが一般的に知られる特徴をもつに至る上で重要な人物である。彼は歌や映画などのプロパガンダで1932年のヒトラー・ユーゲント大会で5万人を越える青少年を集めると、党内でその地位を確立し、ナチ党の政権掌握後はヒトラー・ユーゲントへの青少年組織一元化を進めた。

現場の教師たちは、ナチ流の教育をすぐに受け入れたわけではなく、当時の教育は「伝統的な市民意識や共産主義にとらわれたもの」だった。シーラハはそれをヒトラー・ユーゲントからかえようとした。シーラハは伝統的な教育を見限っており、アドルフ・ヒトラー学校や国家政治教育学院のような寄宿学校にその重点を移していく。じきにユーゲントの制服で登校する生徒たちは少しの権威を学校でも備えるようになっていった。

1939年に戦争がはじまると、ヒトラー・ユーゲントは様変わりした。ユーゲントの幹部がほとんど軍事動員されたからだ。戦争がはじまっても、彼らはスポーツ、歌謡、キャンプと、以前と変わらない活動を行なっていた。学校は休日を増やし、ユーゲントの祝祭的な活動にあてられていく。戦争の興奮は、ユーゲントにも吸収できず、若者は不良化した。それはシーラハにもどうにもできないことで、ゲシュタポによる取り締りしか方法はなかった。

シーラハは党内での地位を向上させるため、自ら志願し、前線へ行くことになる。帰省後ユーゲントはアクスマンという人物がその組織を握った。アクスマンは文化的で非暴力的なシーラハとは異なり、ユーゲントの軍事利用をも辞さない考えの持主だった。戦争も終わりに近づいて、絶望的な状況になってくると、ユーゲントはベルリン防衛に駆り出され、彼らはヒトラー自殺後、アクスマンの連合軍による確保後も「狼人部隊」として戦い続けた。


この本について


ヒトラー・ユーゲントは、いってみればボーイスカウトやYMCAのような活動である。みんなで田舎へ行ってキャンプして、歌って、楽しむ。ただそれだけである。青少年もそうした牧歌的な非日常の楽しさを求めてユーゲントの活動に赴く。しかし、それがいつしか規律を求める軍隊式のものになっていく。それに疑問を抱いた若者たちは、後に白バラ運動を組織するなどナチスへの抵抗を行なっていく。

ヒトラー・ユーゲントは最終的には全ての青少年が加入することになったものであるが、学校とは別物である。学校の休暇に青少年はユーゲントの活動を楽しむ。そこにナチ流の教育が滲み入る余地があった。彼らは歌をうたい、映画をみて、国家に従順で、ナチス思想に共鳴する大人へと育っていく。

この本の素晴らしいところは、ナチスの対等から戦争終結までの、ドイツの雰囲気がそのまま伝わってくるような資料の使い方である。ヴァイマル共和国が失敗だとわかっていた彼らは、ヒトラーに「期待」する。ヴァイマルは敗北の時代、空虚の時代だったのだ。そこにヒトラーがどう登場するのか。1933年の党大会から。

君たち、わがユーゲントよ、君たちは将来のドイツである。それは空虚な観念でも、色あせた図式でもない。君たちはわれわれの血から出た血、われわれの肉から出た肉、われわれの精神から出た精神である。君たちはわれわれの民族の生の継続である。(p.54) 

戦債の返済が将来世代の大きな負担になり、主権国家として当然もつべき軍事力を制限された国家に、若者は何を思ったのか。未来のみえない国家が与える、日常的でただ退屈な教育に、彼らは何を感じたのか。

ヒトラーの演説は、今でも我々の心を打つ。否、今だからこそ心を打つ。なぜ彼らがアドルフ・ヒトラーという熱狂に身を投じたのか。ヒトラーは、生きる意味を失いふわふわと漂っている若者たちを、その言葉と約束でしっかりと地に引き止めたのだ。その意味を我々がわからないはずがない。

しかし、我々はナチズムの結末も既に知っている。ナチスの圧倒的暴力が何をもたらしたのか知っている。我々はナチスに何を学び、そして何を学ばないのか。いまの日本において、再考する意義があると思う。

3 件のコメント:

  1. 不意に彼のスピーチに心を打たれてしまうのには、背筋が凍る。青年の頭の中に散らかった点を、何らかの理由付けをして、整列させ直線で結んだのだろうか。そして何より、何をもって、どんな経緯で、一部は組織に背を向けたのか。
    反戦、という単純で抽象的な議論ではなく、集団の行動を考える上で、ナチスについては学ばねばならないと思う。

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  2. あと、ユーゲントとゲシュタポの関係が思っていたのとは違った。ユーゲントは、ゲシュタポの下部組織というわけではないんやね。

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  3. ユーゲントは青少年の精鋭組織で、10代のヒトラー親衛隊みたいなもんかと僕も思ってた。そうじゃなくって、いちおう親衛隊や突撃隊への吸い上げはあったみたいやけど、「青少年の課外活動教育」というのがほんとの処で、「恐ろしい」イメージはベルリン防衛のときにできあがったのかもしれんね。

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