烏賀陽弘道:ジャーナリスト。京大経済学部卒。朝日新聞入社からアエラの編集になる。
要約
Jポップとは、音楽上の分類を表す言葉ではない。これは、マーケティングのためにつくられた言葉である。1988年、J-WAVEというFMラジオ局が開局した。テープへの録音を前提とせず、常にJ-WAVEを流しておけばいい、という趣旨の番組編成で、DJは英語話者で、世界中から選りすぐりの楽曲を絶え間なく流した。都会的で多文化的なブランドを確立した。当初、日本の楽曲を流さなかったJ-WAVEに対して、レコード会社が攻勢をかけ、J-WAVEっぽい日本の曲を流すことで合意した。ここで生まれたネーミングがJポップである。しかし、ここに明確な基準はなく、山下達郎やサザンはOKで、アリスやチャゲアスは違う、というような曖昧なものだった。どの洋楽に影響を受けたかすぐにわかる邦楽、というくらいの選定だったようだ。文化的にも日本が世界に比肩するという幻想を日本人にみさせることで、売り上げを獲得する。JRやJTの誕生。そしてJポップの登場によって、歌謡曲や邦楽が死を迎える。歌謡曲、ロック、フォークなどを解体してシャッフルした。1992年のJリーグ以降、J〜という言い方が定着した。
タワーレコードが80年に日本に進出。輸入レコードの販売を行い、日本のレコード会社は低迷。そこに登場したのがCDである。フィリップスとソニーの共同開発によって誕生。フィリップスは60分にしようとしたが、ソニーは第九が入るよう74分にすると主張し、それから逆算して12センチの規格に落ち着いた。CBSソニー静岡工場で世界で初めてプレスされたCDはジョエルのニューヨーク52番街だったそうだ。16万だったプレイヤー価格を5万に引き下げてCDを普及させた。安くなったので、皆がプレイヤーを買い、CDを所持する時代になった。女性や若者も。この帰結として、ガールズポップが売れた。そして、作り手にもデジタル化の波は押し寄せる。たとえばピッチ修正、シーケンサー、サンプラーやMIDI。制作環境にも変化が表れ、スタジオは小さく、コストダウン。音楽は商品になり、音の個性がなくなっていく。
テレビが音楽の主要な舞台へ。CMタイアップの手法が誕生。吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などのフォーク勢は当初テレビへの出演を拒否していた。矢沢永吉などもこの系統。しかし、資生堂のCMタイアップや、ベストテンなどでそういった風潮に変化。そして時代はサザンオールスターズへ。彼らはロックバンドでありながらテレビにでまくった。MTVからミュージックビデオの時代へと移っていく。マイケルジャクソンなど。全体の流れは聴覚型から視覚型へ。それが顕著に現れたのが、安室奈美恵などのダンス音楽、そしてヴィジュアル系。音楽産業は、音楽業界、テレビ、広告代理店のJポップ産業複合体へ。そうして、レコード会社ではなく芸能プロダクションが力をもつようになっていった。リスク回避の体質や、ヒットサイクルの短期化が鮮明になっていく。売れる大物はCMに使われて、さらに売れる。一方売れない音楽家はずっと売れないまま。
カラオケと音楽。それまでスナックなどが中心だったカラオケだが、80年代後半のカラオケボックス登場以来、若者へ普及。爆発的な浸透によって、シングルとアルバムの順番が入れ替わる。パンク→バンドブーム→カラオケの流れ。一貫して自己表現というのがある。社会への反発ではないのだ。総中流化から個性の渇望へ。パルコは渋谷消費空間=広告空間をつくった。そしてピチカート・ファイヴやコーネリアスなどの、渋谷系といわれる極めて日本色の弱い音楽が人気を博していく。彼らは、Jポップ誕生の際に欠けていた共通の音楽性に一定程度の形を与えることになる。Jポップの自己愛ファンタジーは誕生以降つねに健在で、英語詞をとりいれたものが多くなり、疑似国際性を売りにした宇多田ヒカル、椎名林檎、ラルク・アン・シエル、ラブ・サイケデリコなどが人気を博す。
日本は世界で二番目に大きな音楽市場をもっている。個人としてのCD購買量は第四位だが人口が大きいぶん市場も大きくなる。そして、大量の海外音楽が輸入されている。その額は全体の四分の一。一方、JASRACが回収している海外からの著作権料は少ないし、ほとんどがアニメ音楽である。日本では、米国と違って極めて均一な市場であるため、プロモーション効果が大きい。CDは再販制のため、高いまま。音楽は公共財という意識がなく、FM局の数は少ないし、レンタルだって業界からの強い反発をなんとかはねのけて実現した。ヒットをつくる、という体質へ。スキャットマン・ジョンやカーディガンズなど。音楽以外の部分でうっていく。
世紀をまたいで、Jポップは活気を失った。レコード会社の負担が過度になって、新人デビューが削られていく。景気が冷え込み、少子化が進む。10代を対象に施策を打ってきたから他の年齢層むけのコンテンツがなかった。そこでリバイバルである。流行に貪欲な層が、テレビからネットへと移った影響もある。収入源は着メロやDVDへ。モンゴル800など、インディーズの台頭というのもある。もともと著作権料を払う受け皿の団体はなかったが、整備されていった。政府行事への参画というのもある。これも、Jポップの巨大産業化がなせるわざだった。製品外競争に陥った日本の音楽産業は、今後どうなるのか。
この本について
80年代以降の日本音楽産業略史である。Jポップとは何かという問いには、はじめの章で殆ど答えてしまっているのだが、そこから日本の音楽産業に対する興味へと読者を誘う仕掛けが憎い。いままでなんとなく変化を肌で感じてきたものに説明が付されるとわくわくする。メディアや技術と、音楽産業のつながりがスッと整理されているのである。
ただ、2005年に出版された書物なので、いま扱うには古すぎる。着メロが大きな市場になっているという記述をみて、思わず笑ってしまった。インターネットを介しての音楽配信よりも大きくとりあげられているのだ。世界の音楽市場は、ナップスターの登場によって大きく変わった。そして、iTunes以降、その流れは決定的になったものだと思う。
坂本龍一が、CDの売り上げだけではミスチルみたいな大物以外食っていけなくなったので、アーティストはライブまわりを強いられている、ということをいっていた。テープ×FMラジオを、CDの違法コピーが代替したという議論もあるので、一概にはいえないが、ウィニーなどのP2Pでの音楽共有が盛んになって以降、その音楽産業への影響は遥かにエアチェックを超えるようになっただろう。これは日本に限ったことではない。ウェブ(およびブロードバンド)の普及、創作の簡易化・安価化など、テクノロジーの革新によって、音楽業界は根本的から変化している。そして、業界全体への影響とともに、音楽家自身にも変化が表れてきており、わたしはウェブ以降のアーティストを二つに分類できると考えている。
ひとつはウェブ世代アーティストである。彼らは、Myspaceをはじめ、Vimeo、ニコニコ動画など、ウェブ上のメディアによって自らの製作を世に広める。たとえば米国のハッピーロックバンド、「OKGo」がブレイクしたきっかけは、低予算のミュージックビデオ(家庭用ビデオカメラ代のみ?笑)だった。しかし、ウェブ上での成功をうけて、CDを配り、収益をあげるという構造は、2007年当時いっしょだった。が、それが変わるのも時間の問題だと思う。レディオヘッドが新作を「購買者が価格を決める」方式で(もちろん0円というのも可能)ダウンロード販売する試みを行ったのは既に5年前だ。彼らはこの方式を二度と採用せず、次の作品"The King of Limbs"からは定価のダウンロード販売か、CDか、レコードか、またはアート作品などが同梱されている"newspaper album"か選択できるようにした。わたしは紙ジャケットのCDを購入したが、それで中身が気に入ったら"newspaper album"を買うつもりだった。
音楽はデータであり、データに高いお金を払う人間はいない、ということに音楽業界もそろそろ気づくべきなのだ。東浩紀のいうように、「ひとは、手に取れるパッケージが〔ママ〕経験にしか金を払わない」。ニコニコ動画が生んだスター、神聖かまってちゃんのフロントマン「の子」は、CDの創作に関心がなく、新作はひとりで仕上げて次々に自らのサイトにアップロードしていく。もちろん無料で。ガレージバンドで全楽器を演奏し、初音ミクに歌わせて、ニコニコ動画で発表している人間は収益化を求めているだろうか?音楽で食っていこうと思っているだろうか?
もうひとつはライブアーティストである。ホワイトストライプスなどはその典型だろうし、U2やミューズなどもライブを軸に活動を行って、CDも売れに売れた。先程とりあげたレディオヘッドも充実した生演奏ライブを精力的に提供するが、彼らはウェブ配信、音楽データのパッケージ販売を総てこなす、希有な次世代アーティストである。坂本龍一曰く、CDを買わないがライブに来る人はたくさんいるそうだ。CDを「買わない」だけで「きいてない」わけではないと思うが、とにかくライブをやらなければ食っていけないし、ライブがよければ食っていけるのである。これは「ライブという体験」にはお金を払う価値を見いだす余地があると人々が認識しているということだ。
坂本龍一はYMO時代から、シーケンサーの自動演奏などを使ったライブを行ってきた。テクノミュージックのライブというのは、いってしまえば何で行くのかよくわからない。ダフトパンクやファットボーイスリムのライブに行くのと、彼らの音楽をかけるクラブにいくのとはどう違うというのか?ゴリラズや初音ミクのライブに足を運ぶひとも多くいるので、「体験としてのライブ」がテクノロジーによって損なわれるとは一概にいえないが、坂本龍一が、「体験性」の色濃いピアノ演奏ツアーを近年精力的に行っているのは示唆的だと思う。
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2012/5/3
追記:
ふと思ったが、商業ロックやヘヴィメタルへの「代替」として生まれたオルタナティヴ・ロックはその存在の意味からいってJポップと似通っているように思う。「alternative」という語になんらの意味は無いし、音楽的には、むしろバラバラである。オルタナティヴが台頭したといえるのは、ニルヴァーナ以降でJポップの始まりと重なる。ロック的な要素を少しでももっていたら、Coldplayなんかもオルタナティヴにいれてしまう昨今のロック事情はJポップのそれと非常に似通っているように思える。