2012年10月31日水曜日

ゼロ年代の想像力(2008)

宇野常寛:1978年生。評論家。立命館大学文学部卒。


まとめ

1980年代以降、相対主義が浸透し、吾々は大きな物語を失った。それにどう対処していくか考えたのが、90年代の想像力であった。碇シンジは、社会的自己実現(エヴァに乗ること)を拒否し、自己像(キャラ)の承認を求めて引きこもる。何かをすれば誰かを傷つけるので、「何もしない」ことを選択する価値観である。碇シンジは、人類補完計画を自らの手で推し進めることで、無條件な承認を得ようとするが、最終的に劇場版ではそれを否定する。ラストシーンにおいて、アスカに拒絶される(「キモチワルイ」)のは、「何もしない」選択は間違っているけれども、他者とのコミュニケーションはやはり痛みを生む、ということを象徴している。

ポスト・エヴァ的に大量に出現した「セカイ系」 ― キミとボクの関係がセカイの危機に直結するようなストーリィ ― は、アスカによる拒絶を嫌い、病的な、往往にしてトラウマを抱えた少女に全承認される筋を辿る。

ゼロ年代の想像力は、これらから一歩進んだものだ。引きこもるのではなく、現実をサヴァイヴすることを選択する。大きな物語が否定され、現実が虚無であることを受け入れた上で、敢えて、決断する。「決断主義」こそがゼロ年代の想像力をよく現している。

ポストモダンが深く進行していない状況では、ドラゴンボール的な数値化された序列の階段を登っていくのが正義であり、成長物語である。90年代以降、大きな物語が失われ、データベースから小さな物語を読み込む吾々は、そういった絶対的な強者の存在を肯定できない。すなわち、「ジョジョの奇妙な冒険」的な、お互いの弱点を、自らの一芸で突き合う、カードゲーム的な状況になる。

そこで、前出のサヴァイヴ感が、「DEATH NOTE」における夜神月的な決断主義を要請する。大きな価値などない、物語を失った吾々だが、引きこもってはおられず、サヴァイヴし、無価値の中から、選びとる決断をしなければならないのだ。ネットの登場によって、吾々は自分が好む小さな物語をデータベースから読み込み、住み分けることが可能になった。しかし、住み分けられるからこそ、敵味方をつくって対立するのである。「バトルロワイヤル」の舞台である学校に象徴されるように、現実において、小さい物語同士は対立する。虚無主義を織り込み済みで、現実をどうサヴァイヴしていくのか。


この本について

おもしろかった。「データベース消費」など、東浩紀の議論を今一度まとめて、2008年版に更新した作品となっている。アニメ、ドラマ、小説などから現代の状況を捉え、吾々がいま、どう生きるべきか問う。

誰だったか、こじつけの本だ、と本書を評していたが、それも否定はしない。つっこもうと思ったらいくらでもできる。だが、これだけまとまった議論を展開できるのには感服するしかない。仮面ライダーをみたくたった。

結局、著者の狙いは、サブカルと呼ばれている文化を、消費する価値も、議論する価値もないと考えている人間に、「どうだ、あんたらが馬鹿にしてるものは、これだけ奥が深いんだぞ」というだけのものなのかもしれない。

2012年10月15日月曜日

最終戦争論(1942)

石原莞爾:1889年生、1949年没。大日本帝國軍人。板垣征四郎とともに、関東軍の参謀として、満州事変を首謀するなど活躍。後に失脚。軍事思想家としても知られる。

要約

戦争には二種類あり、それらは持久戦争と決戦戦争である。前者は政治的なやりとりと傭兵、後者は武力戦及び国民皆兵を特徴とする。歴史の循環として、今迄持久戦争と決戦戦争は交互に現れてきた。西洋においては、決戦(古代ギリシア・ローマ)→持久(帝政ローマ中期から末期)→基督教の支配する暗黒時代(中世)→持久(ルネサンス以降)→決戦(仏国革命以降)→持久(第一次大戦)。これらの変化は、兵器の技術的進化や社会の変化が因となっている。では、いま飛ぶ鳥を落とす勢いのナチスドイツは、決戦戦争の時代への突入を意味するかというと、そうではない。

作戦の変化にともなって、戦争をする単位も、大隊、中隊、小隊、分隊さらには個人と小さくなってきている。個人単位の全国民同士が、次の決戦戦争でぶつかりあう。さらに空軍の導入によって戦場は三次元に広がる。その次は無いのである。つまり、次の決戦戦争で戦争は終わり、世界は統一を迎える。いままでのサイクルが1000,300,125年ときているから、その次は数十年後ということが推測できる。

上の予言は日蓮の教えから導くことも可能である。仏教では時代を正法・像法・末法の三つにわけ、それぞれ千年、千年、万年の計一万二千年。正法、像法及び末法のはじめの五百年の、計二千五百年については、大集経という形で釈迦の予言が伝わっている。それが終わった頃、日蓮聖人が現れ、以降の予言をした。「日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る」というのだ。しかし最近、日蓮の予言が全部解釈され終わったところで、教義に疑義が挟まれた。仏滅の年代測定が違っていて、日蓮は実は像法の人だったという。仏滅が二千四百数十年前であるという最近の説にたてば、日蓮のいう未曾有の大戦争は、数十年後に現れ、不思議と上の理論が導いた結果に整合する。


この本について

本書は莞爾が1940年5月に行った講演を筆記したものである。要旨は上に書いた通りで、数十年後の最終戦争と、後の世界統一を予言している。

おもしろい。軍人だけあって、兵器の技術的な側面や、実務の観点から話ができるので、学者が話すとおもしろくなさそうなものでも、飽きずに読める。

おそらく石原莞爾が高く評価されているのは、日米での最終戦争を予言し、空軍の活躍を予想したなど、先見の明があったと認められているからであろう。莞爾を此処まで偉くしたのは歴史の偶然かもしれない。先見の明は、ともすればペテン師になる。参謀・思想家として非常に優秀であったのは事実だろうが、合理主義的実務家である甘粕正彦が「明後日はあるが、明日がない」と評したというのも、首肯ける。

莞爾は理論家だということを聞く。私はそうは思わない。莞爾は思想家であって、理論家ではない。持久戦争・決戦戦争では、原因が異なる変化について、年数でざっくり割っているのを、私は理論だと思わない。日蓮のくだりは、矛盾も甚だしい。ただ、頭がよかったのは確かなようで、自らの「理論」の非合理な部分は、「仏の神通力」などといって意識的にパトスで包み込んでいる。これが思想家たる所以である。




最終戦争論(青空文庫)

2012年9月24日月曜日

The Good Lobbyist's Guide (2003)

Annabel Young: ニュージーランドの政治家。1997年から2002年まで国民党の国会議員。

この本について

全く脈絡も何もないが、おもしろそうなので手にとってみた。(ニュージーランドの)ロビイストのための手引書である。実用書なので要約は省く。

ロビイングの極意とは、一言でいうと、議員との共通の利益を見つけ出し、それを売り込むことだ。選挙区制が1996年に変革されてからロビイングの仕方も変わり、それまでの小選挙区制では大臣相手にするものだったのが、比例代表との併用制になったので議員へのロビイングも有効になった。本書では平議員へのロビイングを中心に解説されている。

ニュージーランドでは酒類業界(または其の反対勢力)がもっとも大きなロビイング集団らしい。小選挙区制では大政党の党議拘束が厳しく、平議員が自らの裁量で投票できるのはドラッグ、性、死刑制度くらいなもので、これらがロビイングの主な領域だった。比例代表を一部導入したことで、連立政府が成立する可能性が高まり、複数与党が互の腹を読み合う機会が増えたため、ロビイングの重要性と有效性が高まったのだ。

本書では議員のことを「無能」呼ばわりしないこと(はじめから喧嘩腰のロビイングは成功しない)、議事堂の部屋を借りて議員と面会するとき、代金は全てロビイスト側につけられること、その他、議員の習性、かれらが何を考えているかなどの記述が続く。

私は国内のロビイング活動についての知識は全くないが、この本を読んでいてなにかしっくりこないことがあった。気づいてみれば、それはニュージーランドの国家としての規模が圧倒的に小さいからなのだ。一院制で議席は120ほど。全人口は400万強(!)。小さな国の、ロビイングというあまり注目を浴びない話題の、本。おもしろかったが、一体誰が読むのだろう。

2012年9月10日月曜日

甘粕正彦ー乱心の曠野(2010)

要約


甘粕正彦は陸軍幼年学校、陸軍士官学校を出て、軍人の道を歩み始めた。しかし、落馬事故が原因となり、歩兵から憲兵に転科せざるを得なかった。憲兵とは治安警察のことである。甘粕が大尉になって、憲兵分隊長を勤めていたときに関東大震災が起こる。

混乱に乗じてアナキストが政府転覆を狙っていると考えた憲兵隊は、大物アナキスト大杉栄を連行し、同行していた内妻伊藤野枝と大杉の甥橘宗一6歳とともに殺害し、古井戸に投げ捨てた。大杉事件である。事件は新聞によって明るみに出、隠しきれなくなった憲兵隊は甘粕を差し出した。甘粕は被疑者として軍法会議にかけられる。甘粕は単独犯行を主張し、裁判は事実関係が有耶無耶のうちに終わる。10年の刑期を言い渡された甘粕は千葉刑務所に収監される。

恩赦や、模範囚としての働きがあり、3年弱で刑務所をでた甘粕は、収監前に婚約を結んでいたミネと婚姻し、夫婦で仏国へ渡る。費用は陸軍からでていたようだ。出所以降、至る所で陸軍が甘粕の手助けをするのは、憲兵が組織ぐるみで行った犯行を全て甘粕一人に被せた口止め料だったのかもしれない。

新婚の仏国滞在は甘粕にとって鬱屈したものであって、結局なにもできずじまいだったようだ。1930年に帰国後、甘粕はすぐに満州に渡る。当時、刑期を経験したものや、社会のはみ出し者は多く新天地を求めて満州へ行った。渡満後数年の甘粕のことはあまりよくわかっていない。そこで甘粕は陸軍絡みのパイプを頼りに、関東軍と伴に謀略工作に従事するようになる。

1931年の満州事変以降、奉天で日本大使館に爆弾を投げ込み、元清朝皇帝愛新覚羅溥儀を連行するなど、満州国の建国に貢献した。民政部警務司長に就任し、その後宮内府諮議となる。大東公司を設立し、苦力(クーリー・中国人労働者)の満州国への入国を管理する傍ら、入国料の徴収から莫大な資金を手にし、政治工作や謀略に役立てていたようだ。満州の昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配するといわれるほどの実力者になった。1938年には訪欧使節団副団長として欧州を訪問し、ムッソリーニ、ヒトラー、フランコらと対談した。

1939年、満洲映画協会(満映)理事長に就任、関東軍との癒着で赤字体質だった満映を立て直す。甘粕は当時でも大杉殺しで知られており、その極度の合理主義や一見傲慢にみえるその態度などからはじめは警戒されていたが、極度に低かった中国人の賃金を底上げし、プロパガンダ映画の否定、思想の左右を問わず役立つ人材を登用する姿勢などから、次第に支持を獲得していった。満映の従業員は多く東映の設立に関わり、戦後日本映画の基礎をつくった。

熱狂的な天皇信奉者であった甘粕は、戦争に負けたら自死すると決めていた。玉音放送の後に甘粕は全従業員を集め、自刎の志を述べ、従業員のこれまでの働きを労い、形見の品々を一人ひとりに手渡した。甘粕は自殺に向けて、満州興業銀行の総裁に電話し、渋る総裁を恫喝して従業員の退職金の引き出しと、満映の当分の運転資金の融資を約束させた。

満映社員は理事長が自殺しないように寝ずに見張り、身の回りから刀やピストルを奪うなどしていたのだが、甘粕は遺言状とともに満州興業銀行の総裁宛に「二百万円貸して下さい。貸さないと死んでから化けて出ます」と書き残し、隠し持っていた青酸カリを服毒して死んだ。



この本について


甘粕大尉の伝記。伝記は往々にしてフィクション的な要素が強く、歴史的な叙述は退屈になってしまう。著者はそのバランスを考えて、できるだけ甘粕の人間性や味わい深いエピソードなどを細かく叙述しつつも、資料や証言に基づいた事実だけを伝えるように努めている。手法としておもしろいし、最後まで全く飽きずにぐいぐい引きこまれながら読めた。著者が自ら行った数多くのインタビューから、人間としての甘粕がいきいきと伝わってくる。

上のように年表形式でまとめてしまうと、甘粕は結局なにをやった人で、なぜ一冊の本にとりあげられるものかわからない。私は映画「ラスト・エンペラー」をみて、満州国の舞踏会でひとり無表情で参加者に撮影機を向ける甘粕という人物に興味をもったから、この本を手にとった。あの映画で坂本龍一が演じる甘粕は、満州国の陰の実力者であり、狂信的天皇崇拝者、感情をもたない冷徹な合理主義者として描かれている。

甘粕は、大杉事件の首謀者、満州国の謀略家、満映の理事長と三つの顔をもっている。大杉事件については、自ら手を下したわけではないらしい。少なくとも子どもはやってないようだ。謀略家としては、石原莞爾、板垣征四郎などと交流し、関東軍ができなかった汚い仕事を引き受けていたらしい。満映については、甘粕は戦後の日本映画界に少なくない影響をもたらしたといえるかもしれない。

甘粕正彦は満州の可能性を愚直に信じ、その発展に寄与しようとした人物であった。私はこれを機に太平洋戦争や満州のことを調べていて、満州とはなんだったのかなあ、と考えている。


2012年8月25日土曜日

ヒトラー・ユーゲント(2001)

平井正:東大文学部卒の学者。

要約


ヒトラー・ユーゲントとは、ナチ党の青少年組織である。

20世紀初頭のロマン主義的な反社会・非政治運動として開始されたワンダーフォーゲル・青年活動がその起源で、もともとは民謡をうたったり、キャンプをしたりする、青少年だけで構成され、運営される組織なのである。第一次大戦後、青年運動は個人主義から集団主義・民族主義へと移行し、ナチ党に共鳴する青年運動も自発的にできあがる。

1903年にレンクという少年が突撃隊予備軍として青少年を組織した。当時ナチ党は弱小政党だったこともあり、その青少年部も質素なもので、発足の会に集まったのはわずか17名であった。その後、グルーバーという少年の努力によって「大ドイツ青少年運動」は拡大し、1926年は正式に「ヒトラー・ユーゲント」と改称された。

バルドゥーア・フォン・シーラハの登場とともに、ヒトラー・ユーゲントは急速にその組織を整えていく。シーラハは自ら民謡を作詞するなど、高い教養を備えた文化人であり、ヒトラー・ユーゲントが一般的に知られる特徴をもつに至る上で重要な人物である。彼は歌や映画などのプロパガンダで1932年のヒトラー・ユーゲント大会で5万人を越える青少年を集めると、党内でその地位を確立し、ナチ党の政権掌握後はヒトラー・ユーゲントへの青少年組織一元化を進めた。

現場の教師たちは、ナチ流の教育をすぐに受け入れたわけではなく、当時の教育は「伝統的な市民意識や共産主義にとらわれたもの」だった。シーラハはそれをヒトラー・ユーゲントからかえようとした。シーラハは伝統的な教育を見限っており、アドルフ・ヒトラー学校や国家政治教育学院のような寄宿学校にその重点を移していく。じきにユーゲントの制服で登校する生徒たちは少しの権威を学校でも備えるようになっていった。

1939年に戦争がはじまると、ヒトラー・ユーゲントは様変わりした。ユーゲントの幹部がほとんど軍事動員されたからだ。戦争がはじまっても、彼らはスポーツ、歌謡、キャンプと、以前と変わらない活動を行なっていた。学校は休日を増やし、ユーゲントの祝祭的な活動にあてられていく。戦争の興奮は、ユーゲントにも吸収できず、若者は不良化した。それはシーラハにもどうにもできないことで、ゲシュタポによる取り締りしか方法はなかった。

シーラハは党内での地位を向上させるため、自ら志願し、前線へ行くことになる。帰省後ユーゲントはアクスマンという人物がその組織を握った。アクスマンは文化的で非暴力的なシーラハとは異なり、ユーゲントの軍事利用をも辞さない考えの持主だった。戦争も終わりに近づいて、絶望的な状況になってくると、ユーゲントはベルリン防衛に駆り出され、彼らはヒトラー自殺後、アクスマンの連合軍による確保後も「狼人部隊」として戦い続けた。


この本について


ヒトラー・ユーゲントは、いってみればボーイスカウトやYMCAのような活動である。みんなで田舎へ行ってキャンプして、歌って、楽しむ。ただそれだけである。青少年もそうした牧歌的な非日常の楽しさを求めてユーゲントの活動に赴く。しかし、それがいつしか規律を求める軍隊式のものになっていく。それに疑問を抱いた若者たちは、後に白バラ運動を組織するなどナチスへの抵抗を行なっていく。

ヒトラー・ユーゲントは最終的には全ての青少年が加入することになったものであるが、学校とは別物である。学校の休暇に青少年はユーゲントの活動を楽しむ。そこにナチ流の教育が滲み入る余地があった。彼らは歌をうたい、映画をみて、国家に従順で、ナチス思想に共鳴する大人へと育っていく。

この本の素晴らしいところは、ナチスの対等から戦争終結までの、ドイツの雰囲気がそのまま伝わってくるような資料の使い方である。ヴァイマル共和国が失敗だとわかっていた彼らは、ヒトラーに「期待」する。ヴァイマルは敗北の時代、空虚の時代だったのだ。そこにヒトラーがどう登場するのか。1933年の党大会から。

君たち、わがユーゲントよ、君たちは将来のドイツである。それは空虚な観念でも、色あせた図式でもない。君たちはわれわれの血から出た血、われわれの肉から出た肉、われわれの精神から出た精神である。君たちはわれわれの民族の生の継続である。(p.54) 

戦債の返済が将来世代の大きな負担になり、主権国家として当然もつべき軍事力を制限された国家に、若者は何を思ったのか。未来のみえない国家が与える、日常的でただ退屈な教育に、彼らは何を感じたのか。

ヒトラーの演説は、今でも我々の心を打つ。否、今だからこそ心を打つ。なぜ彼らがアドルフ・ヒトラーという熱狂に身を投じたのか。ヒトラーは、生きる意味を失いふわふわと漂っている若者たちを、その言葉と約束でしっかりと地に引き止めたのだ。その意味を我々がわからないはずがない。

しかし、我々はナチズムの結末も既に知っている。ナチスの圧倒的暴力が何をもたらしたのか知っている。我々はナチスに何を学び、そして何を学ばないのか。いまの日本において、再考する意義があると思う。

2012年7月25日水曜日

二十世紀の政治思想(1996)

小野紀明:京都大学法学部の名物教授。専門は西洋政治思想史。特にハイデガー、ニーチェなどを中心に研究している。

古代ギリシア


ロマン主義運動においては、ホメロス時代に理想、「起源」をもとめることが多かった。それは、「そこで疎外された人間関係を知らない神聖なそれが見出されると考えられたからであった」(p.1)。こうした透明なコミュニケーションが成立していたのは、そこに「人間の作為を超えた普遍的で必然的な秩序」すなわち 宇宙コスモス の秩序、又は後に 自然ピュシス と呼ばれるようになったものである。ここではそれらを「 客観的秩序オンティックロゴス 」と呼ぶ。それは物質的世界の秩序であると同時に道徳的秩序でもある。

ポリスはphysisの秩序を所与のものとして、それを自覚化した法秩序に基づく共同体であった。その成立はアルカイック期に「主観性・内面性、つまり自己意識の獲得とそれに伴う他者の出現によって迎えた共同体の危機を、『自然』という自明な秩序の確認と 市民politēs という公共性の意識の形成によって克服しようとする企て」(p.2)であった。

ここで正義とは、即ち客観的秩序を現れさせることであった。自分の役割が自分に求めることを行う、そしてそれを行うにおいて優れていることが、すなわち善いことなのだ。

エウリピデスまで時代が下ると、「『市民的凡用性』に発言の場が与えられ」(p.5)、かれらは道徳的に堕落する。それは則ち「 存在to on 」と「 現われdokein 」が乖離してしまったことを意味する。そうして「自己を現れさせる市民が消滅」すれば「『自然』と『法』の一致という信念も動揺せざるをえない」(p.5)。

オレステイア三部作やオイディプス王には、「現れ」への根本的不信が底流している。「『存在』と『現われ』の乖離は、この『現われ』の世界を統べる客観的な秩序(logos)への不信を意味し、それはさらに言葉(logos)への不信を惹き起こす」(p.7)。

此処においてプラトンは、「存在」と「現われ」を峻別する二分法を打ちたて、以後西洋世界を二千年もの間支配することになる「真理」による政治が開始されるのだ。

ニーチェ


ニーチェが云う神の死は、すなわち形而上学的信仰の放棄である。それが意味するのは、「超感性的な世界、諸理念、神、道徳律、理性の権威、進歩、最大多数の者どもの幸福、文化、文明が、それらの立て直す力を喪失して虚ろになるという事実」(ハイデガーの孫引き p.11)である。

「『背後世界』の廃棄は、ルサンチマンにとらわれ虚栄心に爛れた『 自我イッヒ』の放棄に直結する」(p.11)。 自我は、理性などそれを形而上学的に支えるものがなければ成立し得ないからだ。

初期のニーチェにおいては、現われは「美的 仮象シャイン」として提示される。それは乃ち、「自他未分離な混沌とした生命力に他ならないディオニュソス的なものが、アポロン的知性によって秩序づけられ形式を付与されることを通して現われる姿である」(p.13)。ロマン主義の影響が色濃い当時において、個人主義・合理主義の批判を美的な現われの評価という観点から行なっている点に既に形而上学批判の片鱗をみることができる。「自他未分離な『自然』への『郷愁』がみられる」(p.14)点でロマン主義の範疇にあるが。

後期ニーチェのディオニュソス概念は、かなり異なったものになっている。ギリシア人が偉大だったのは、ディオニュソス的なものを変換して「現象」へもたらしたことではなく、その二元論を超越していたことにあるのだ。形而上学的な二元論を捨て去ることで、アポロン的なものが退く、あるいはディオニュソス的なものと融合する。つまり、「美的仮象は、ディオニュソス的なものの自己変容に他ならない」(p.15)。

ニーチェによる形而上学の廃棄は以下の論点を含む(pp.16-18):
  1. すべての言説が、身体によって縛られた観察者の視点からくだされる「解釈」にすぎず、「あるものすべては主観的である」ということがすでに解釈であるから、主観というものも否定されている。
  2. 普遍的な視点をもつと吹聴するものは、真理・道徳と呼称するものを言語によって固定化し、言葉による説得で他者に強制し、自らの隠された支配欲を満足させているだけである。
  3. 基督教的、または自由主義的進歩を標榜する歴史観の根拠としての、その目的という観念を放逐する。背後世界が当為の根拠として人間を縛っているのと同様に、歴史に目的を設定することはその目的に向かわせることで人間を拘束する。
  4. 当為に押しつぶされ支配欲にかられた形而上学的な「 自我(Ich)」が否定される。そこに誕生する 自己(Selbst) はどう自らを作るのか。善悪の基準、自らを犠牲にすべき目的、自然な発源を待つべき本質もない。そこには、自らのディオニュソス的な「力への意志」を美的仮象へともたらす道しか残されていないのだ。

とりあえずいまはこれだけで許してください。ちょっと難しすぎる。


2012年7月9日月曜日

登山の誕生(2001)

小泉武栄:自然地理学者。東京学芸大学卒、東京教育大学修士。理学博士。東京学芸大学教育学部教授。


要約

何が人を山に登らしめるのか。それは、何かを征服したいという欲望なのか。それとも、道への憧れなのか。はたまた、危険を顧みず、冒険することへの欲求だろうか。おそらく、現代の登山家たちには、それら全てがあてはまるだろう。しかし、人類はつねに登山をしてきたわけではない。現在と過去を比較することで、登山の本質がみえてくるはずだ。

古代ギリシアにおいて、人々は学問を大成した。かれらは好奇心に満ち溢れていたのである。しかし、古代ギリシア人は山に登らなかった。山は危険とされ、むしろ嫌われた。そうした中、ユダヤ教徒は山に関心をもった。預言者は山で神と交信する。

中世においては、キリスト教信仰のために人々の好奇心は抑圧された。山々は、魔女や怪物の住む恐ろし場所だった。しかし、西洋的な理性が実現されるにしたがって、人々は自然を恐れなくなった。発展した都市文化から逃れ、心を休める場所として自然が意識されるようになる。こうした自然のなかで、山も例外ではなくなった。文学は山を美しいものとして描写するようになる。そして、山頂を征服する現代の登山が徐々に盛んになってくる(ここの飛躍は、正直よくわからなかった。読みなおしてみよう)。

日本の場合は事情が全く異なる。万葉集にはすでに、男女が連れ立って、娯楽のための登山を行なっている様子が推察される句がいくつもある。仏教が伝来し、修行のために山に入る者や、空海の高野山に代表されるように、山を開いて寺社を建てる者もあらわれてくる。仏教以前からも山岳信仰というものはあったようだ。

江戸時代にはいると、娯楽としての登山が、再び盛んに行われるようになる。娯楽とは別に、成年になる儀式として登山を行わせることも多かった。この場合は、地域で決められた山頂を制することが目標とされる。明治維新後は、さまざまな西洋文化とともに西洋流の登山も輸入されてきた。しかし、日本アルプスなど、信仰・娯楽登山の対象とされていなかった地域に登る場合は、20世紀前半であっても、鉱物を探しに行くのか、などと不思議がられたという。


この本について

登山というものに殆ど興味がない。友人になんで登山がするのか、ときいたときに、要約の冒頭のような答えが返ってきたのだが、なかなか納得できなかったのでこの本を読んでみた。読んでからしばらくたっていて、現物が手元にないので、要約は間違っている箇所があるかもしれない。

要約は殆ど、登山の歴史的な淵源についてだが、ほんとうは歴代の登山家たちのエピソードも多く掲載されている、登山好きの本なのかもしれない。なぜ、わたしは山に登るのか、というのを自身で不思議に思った者、自分のする行為に深い理解を求める者のための書物。