2012年4月28日土曜日

暴力団(2011)

溝口敦:ノンフィクション作家。暴力団について取材・執筆を長年行っているらしい。




要約


暴力団対策法で指定されたものを「指定暴力団」と呼ぶ。これが22団体。暴力団は、ピラミッドが何層にも重なった構造をしている。五次団体まである暴力団もある。山口組(神戸)、稲川会(東京)、住吉会(東京)を警察庁は特に重視している。

山口組は全暴力団の構成員数の半分弱をしめる。本家には六人の舎弟、80人の若衆がいる。舎弟とは組長の弟、若衆はこどもという位置づけである。かれらは直系組長。若衆の中で長男にあたるのが若頭。直系組長たちは、毎月100万弱の会費を本部におさめる。これはじぶんたちが活動できるのが「代紋」のおかげと考えるからである。さらに積立金を30万、日用品の購入を50万以上おこなっている。さらに、なかまの直系組長が引退するときには100万積む。ただ、直系組長たちも、二次団体の組員から月々20−30万ずつ月会費を集めている。出世には二つ道があり、ひとつは暴力団同士の抗争で名をあげること、もうひとつは金をたくさん上納することである。対立相手の組員を殺傷し、逮捕され、無事刑期を終えて出所したときによい待遇を受けられる。が、これも貧乏な組では無理なのだ。

シノギ(資金獲得活動)には覚醒剤、恐喝、賭博、ノミ行為などがある。覚醒剤は表向きには禁止されているが、儲かるので上層部も見て見ぬ振りをしているようだ。末端価格は、原産地の出荷価格の150倍なのである。野球賭博の胴元をやってたこともある。賭博の胴元は、もめたときに警察に届ける訳にもいかないので「強く、資金力があり、金の貸し借りにきちんとした信用がある」暴力団しかできなかったのである。闇カジノというのもある。はやる店なら一晩一億の金が動き、5%が入る。キャバクラやクラブのホステスを使って客を連れ込ませるのである。みかじめ料というのもある。暴力団排除条例で払ったほうも罰せられるようになったので、ビルのオーナーがとりたてて上納する、などしている。解体や産廃処理でももうける。

暴力団は中卒や高卒が多い。暴走族あがりというのもかつては多かった。組に入れば、部屋住みになる。こづかいはもらえるが、とてもやっていけないので、兄貴分のシノギについていく。そうして組長から親子の盃をかわすまでになる。これは省略されることも多いらしい。博徒系はテキ屋系に比べて儀式がちゃんとしていないらしい。正式な組員になれば、組長に金を差し出すことになる。刺青は掘らなければならないわけではない。が、入れる人は入れる、そしてC型肝炎になるのである。組を抜けるのは大変で、指詰めを迫られることもあるし、お金を積まなければいけなかったりする。

警察とは仲良くやってきた。暴力団対策法は、警察のためにつくったともいわれている。だが、暴力団は警察との関係を断とうとしており、失敗に終わった?事件が起きたとき、上は捕まえないから下手人をだせ、というような交渉が行われる。芸能はもとより暴力団とのつながりが強い。場内整理に便利だし、チケットを売りさばいて赤字を防ぐなどにも使える。ただ政治的な影響力はあまりもっていないようだ。暴力団がなくならないのは、警察における暴力団対策の部署をなくしたくないからだ。



この本について

とくにコメントすることはない。雑多な知識が詰め込まれた読み物であって、分析ではないからだ。いってみれば新聞記事の寄せ集めのようなもので、読んで一通り暴力団のことをわかったような気がするだけのものである。

Jポップとは何か(2005)

烏賀陽弘道:ジャーナリスト。京大経済学部卒。朝日新聞入社からアエラの編集になる。


要約


Jポップとは、音楽上の分類を表す言葉ではない。これは、マーケティングのためにつくられた言葉である。1988年、J-WAVEというFMラジオ局が開局した。テープへの録音を前提とせず、常にJ-WAVEを流しておけばいい、という趣旨の番組編成で、DJは英語話者で、世界中から選りすぐりの楽曲を絶え間なく流した。都会的で多文化的なブランドを確立した。当初、日本の楽曲を流さなかったJ-WAVEに対して、レコード会社が攻勢をかけ、J-WAVEっぽい日本の曲を流すことで合意した。ここで生まれたネーミングがJポップである。しかし、ここに明確な基準はなく、山下達郎やサザンはOKで、アリスやチャゲアスは違う、というような曖昧なものだった。どの洋楽に影響を受けたかすぐにわかる邦楽、というくらいの選定だったようだ。文化的にも日本が世界に比肩するという幻想を日本人にみさせることで、売り上げを獲得する。JRやJTの誕生。そしてJポップの登場によって、歌謡曲や邦楽が死を迎える。歌謡曲、ロック、フォークなどを解体してシャッフルした。1992年のJリーグ以降、J〜という言い方が定着した。

タワーレコードが80年に日本に進出。輸入レコードの販売を行い、日本のレコード会社は低迷。そこに登場したのがCDである。フィリップスとソニーの共同開発によって誕生。フィリップスは60分にしようとしたが、ソニーは第九が入るよう74分にすると主張し、それから逆算して12センチの規格に落ち着いた。CBSソニー静岡工場で世界で初めてプレスされたCDはジョエルのニューヨーク52番街だったそうだ。16万だったプレイヤー価格を5万に引き下げてCDを普及させた。安くなったので、皆がプレイヤーを買い、CDを所持する時代になった。女性や若者も。この帰結として、ガールズポップが売れた。そして、作り手にもデジタル化の波は押し寄せる。たとえばピッチ修正、シーケンサー、サンプラーやMIDI。制作環境にも変化が表れ、スタジオは小さく、コストダウン。音楽は商品になり、音の個性がなくなっていく。

テレビが音楽の主要な舞台へ。CMタイアップの手法が誕生。吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などのフォーク勢は当初テレビへの出演を拒否していた。矢沢永吉などもこの系統。しかし、資生堂のCMタイアップや、ベストテンなどでそういった風潮に変化。そして時代はサザンオールスターズへ。彼らはロックバンドでありながらテレビにでまくった。MTVからミュージックビデオの時代へと移っていく。マイケルジャクソンなど。全体の流れは聴覚型から視覚型へ。それが顕著に現れたのが、安室奈美恵などのダンス音楽、そしてヴィジュアル系。音楽産業は、音楽業界、テレビ、広告代理店のJポップ産業複合体へ。そうして、レコード会社ではなく芸能プロダクションが力をもつようになっていった。リスク回避の体質や、ヒットサイクルの短期化が鮮明になっていく。売れる大物はCMに使われて、さらに売れる。一方売れない音楽家はずっと売れないまま。

カラオケと音楽。それまでスナックなどが中心だったカラオケだが、80年代後半のカラオケボックス登場以来、若者へ普及。爆発的な浸透によって、シングルとアルバムの順番が入れ替わる。パンク→バンドブーム→カラオケの流れ。一貫して自己表現というのがある。社会への反発ではないのだ。総中流化から個性の渇望へ。パルコは渋谷消費空間=広告空間をつくった。そしてピチカート・ファイヴやコーネリアスなどの、渋谷系といわれる極めて日本色の弱い音楽が人気を博していく。彼らは、Jポップ誕生の際に欠けていた共通の音楽性に一定程度の形を与えることになる。Jポップの自己愛ファンタジーは誕生以降つねに健在で、英語詞をとりいれたものが多くなり、疑似国際性を売りにした宇多田ヒカル、椎名林檎、ラルク・アン・シエル、ラブ・サイケデリコなどが人気を博す。

日本は世界で二番目に大きな音楽市場をもっている。個人としてのCD購買量は第四位だが人口が大きいぶん市場も大きくなる。そして、大量の海外音楽が輸入されている。その額は全体の四分の一。一方、JASRACが回収している海外からの著作権料は少ないし、ほとんどがアニメ音楽である。日本では、米国と違って極めて均一な市場であるため、プロモーション効果が大きい。CDは再販制のため、高いまま。音楽は公共財という意識がなく、FM局の数は少ないし、レンタルだって業界からの強い反発をなんとかはねのけて実現した。ヒットをつくる、という体質へ。スキャットマン・ジョンやカーディガンズなど。音楽以外の部分でうっていく。

世紀をまたいで、Jポップは活気を失った。レコード会社の負担が過度になって、新人デビューが削られていく。景気が冷え込み、少子化が進む。10代を対象に施策を打ってきたから他の年齢層むけのコンテンツがなかった。そこでリバイバルである。流行に貪欲な層が、テレビからネットへと移った影響もある。収入源は着メロやDVDへ。モンゴル800など、インディーズの台頭というのもある。もともと著作権料を払う受け皿の団体はなかったが、整備されていった。政府行事への参画というのもある。これも、Jポップの巨大産業化がなせるわざだった。製品外競争に陥った日本の音楽産業は、今後どうなるのか。




この本について


80年代以降の日本音楽産業略史である。Jポップとは何かという問いには、はじめの章で殆ど答えてしまっているのだが、そこから日本の音楽産業に対する興味へと読者を誘う仕掛けが憎い。いままでなんとなく変化を肌で感じてきたものに説明が付されるとわくわくする。メディアや技術と、音楽産業のつながりがスッと整理されているのである。

ただ、2005年に出版された書物なので、いま扱うには古すぎる。着メロが大きな市場になっているという記述をみて、思わず笑ってしまった。インターネットを介しての音楽配信よりも大きくとりあげられているのだ。世界の音楽市場は、ナップスターの登場によって大きく変わった。そして、iTunes以降、その流れは決定的になったものだと思う。

坂本龍一が、CDの売り上げだけではミスチルみたいな大物以外食っていけなくなったので、アーティストはライブまわりを強いられている、ということをいっていた。テープ×FMラジオを、CDの違法コピーが代替したという議論もあるので、一概にはいえないが、ウィニーなどのP2Pでの音楽共有が盛んになって以降、その音楽産業への影響は遥かにエアチェックを超えるようになっただろう。これは日本に限ったことではない。ウェブ(およびブロードバンド)の普及、創作の簡易化・安価化など、テクノロジーの革新によって、音楽業界は根本的から変化している。そして、業界全体への影響とともに、音楽家自身にも変化が表れてきており、わたしはウェブ以降のアーティストを二つに分類できると考えている。

ひとつはウェブ世代アーティストである。彼らは、Myspaceをはじめ、Vimeo、ニコニコ動画など、ウェブ上のメディアによって自らの製作を世に広める。たとえば米国のハッピーロックバンド、「OKGo」がブレイクしたきっかけは、低予算のミュージックビデオ(家庭用ビデオカメラ代のみ?笑)だった。しかし、ウェブ上での成功をうけて、CDを配り、収益をあげるという構造は、2007年当時いっしょだった。が、それが変わるのも時間の問題だと思う。レディオヘッドが新作を「購買者が価格を決める」方式で(もちろん0円というのも可能)ダウンロード販売する試みを行ったのは既に5年前だ。彼らはこの方式を二度と採用せず、次の作品"The King of Limbs"からは定価のダウンロード販売か、CDか、レコードか、またはアート作品などが同梱されている"newspaper album"か選択できるようにした。わたしは紙ジャケットのCDを購入したが、それで中身が気に入ったら"newspaper album"を買うつもりだった。

音楽はデータであり、データに高いお金を払う人間はいない、ということに音楽業界もそろそろ気づくべきなのだ。東浩紀のいうように、「ひとは、手に取れるパッケージが〔ママ〕経験にしか金を払わない」。ニコニコ動画が生んだスター、神聖かまってちゃんのフロントマン「の子」は、CDの創作に関心がなく、新作はひとりで仕上げて次々に自らのサイトにアップロードしていく。もちろん無料で。ガレージバンドで全楽器を演奏し、初音ミクに歌わせて、ニコニコ動画で発表している人間は収益化を求めているだろうか?音楽で食っていこうと思っているだろうか?

もうひとつはライブアーティストである。ホワイトストライプスなどはその典型だろうし、U2やミューズなどもライブを軸に活動を行って、CDも売れに売れた。先程とりあげたレディオヘッドも充実した生演奏ライブを精力的に提供するが、彼らはウェブ配信、音楽データのパッケージ販売を総てこなす、希有な次世代アーティストである。坂本龍一曰く、CDを買わないがライブに来る人はたくさんいるそうだ。CDを「買わない」だけで「きいてない」わけではないと思うが、とにかくライブをやらなければ食っていけないし、ライブがよければ食っていけるのである。これは「ライブという体験」にはお金を払う価値を見いだす余地があると人々が認識しているということだ。

坂本龍一はYMO時代から、シーケンサーの自動演奏などを使ったライブを行ってきた。テクノミュージックのライブというのは、いってしまえば何で行くのかよくわからない。ダフトパンクやファットボーイスリムのライブに行くのと、彼らの音楽をかけるクラブにいくのとはどう違うというのか?ゴリラズや初音ミクのライブに足を運ぶひとも多くいるので、「体験としてのライブ」がテクノロジーによって損なわれるとは一概にいえないが、坂本龍一が、「体験性」の色濃いピアノ演奏ツアーを近年精力的に行っているのは示唆的だと思う。


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2012/5/3

追記:

ふと思ったが、商業ロックやヘヴィメタルへの「代替」として生まれたオルタナティヴ・ロックはその存在の意味からいってJポップと似通っているように思う。「alternative」という語になんらの意味は無いし、音楽的には、むしろバラバラである。オルタナティヴが台頭したといえるのは、ニルヴァーナ以降でJポップの始まりと重なる。ロック的な要素を少しでももっていたら、Coldplayなんかもオルタナティヴにいれてしまう昨今のロック事情はJポップのそれと非常に似通っているように思える。

2012年4月27日金曜日

私の個人主義(1914)

夏目漱石:日本を代表する小説家。



要約


大学を卒業後、学習院に就職する、という話があった。しかし、それは有耶無耶になってしまって、本日まで学習院にはいったことはなかった。結局高等師範にいった。一年経って伊予の学校へ。そこも一年だけ。次は熊本の高等学校。熊本はだいぶ長かったが、あるとき文部省から英国留学の話がきた。何の目的ももたずに外国に行ったからって、別に国家のために役に立つことはなかろうと思って、断るつもりだったが、結局いった。

英文学という学問をやった。3年勉強して、なんなのかよくわからない間に終わってしまった。なりゆきで教師になったが、英語は教えられるけども、職業としての教師に興味はないし、「何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらな」かった。学問をしたいにはしたいが、なにをすればよいのかわからない。留学中は、いくら本を読んでも腹に落ちなかった。そうして、文学というものはなんであるか、自分で根本から考えざるを得ないと悟ったのである。

日本の学問は、借りてきたものだった。どこぞの英国人がいったことを、どうだ、こういってるぞ、というだけで仕事ができたのである。それは他人本位であって、他人のものであるのにはかわりない。外国人だから、自分の批評が本場の批評と違っていたら、引け目を感じるのは仕方ない。しかし、違っているからどちらが正しいということではなくて、その矛盾を説明すること、それこそに意味がある。こうして「自己本位」を手に入れた。文学論などは失敗してしまったが、この四文字はまだわたしの中で強く生きている。諸君らへの助言としては、「もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思う」。

さて、学習院の若者たちは、もともと権力と金を手に入れるという順当なルートにのっている。自分の好きなことで個性を発展させるうち、それを他人にも適用させようとする誘惑が働く。ときにそれは権力と金をもってする。しかし、他人にも個性を尊重するべきだ。義務を伴わない権力などというものはない。金力についても同様である。「自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない」し、「自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならない」。つまり、「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もない」。



この講演について


これは、要約をみてもわかるように、漱石が学習院でおこなった講演をテクストにしたものである。「赤シャツ」のエピソードなど、彼自身の人生をふりかえって、これから生きる上でなにを心懸けるべきか、若者に語りかける。

ふたつ主題があって、ひとつは、思ったことはやりなさい、ということ。漱石の人生そのものだ。そしてもうひとつが個人主義である。自由が義務を伴う、という英国の風潮に日本も見習うべきだとする。日本人は自由の意味を履き違えている、という主張である。

自由について少し考えてみたが、うまくまとまらなかったので、ここには記さない。政治的な自由と同列に論じようとしたが、どうやら漱石の主張はこれとはまったく違ったところにあるようである。


私の個人主義(青空文庫)

2012年4月9日月曜日

現代日本の開化(1911)

夏目漱石:日本を代表する小説家。本名夏目金之助。1867年生まれ、1916年没。解説は不要かもしれない。明治期を代表する知識人であり、新しい表現を多く創りだした。



要約


昨今よくいわれている「開化」について講演する。ひととおりの定義として、「開化は人間活力の発現の経路である」。そしてそれには二通りあって、ひとつは積極的なもの、もうひとつは消極的なものである。積極的なものとは、活力をより消耗しようとする運動、そして消極的なものは活力の消耗を節約しようとする運動である。前者は道楽、後者は義務。

道楽という活力消耗を伸ばそうとする、これも開化。そして義務を減らそうとする、これも開化である。前者は例えば、観光地にエレベーターがつくなど。後者はといえば、人力車が、自転車、汽車になるといった具合。このふたつは、我らが生まれながらにもっている性質としない限り、説明ができない。人類が自然と開化の方向に向かうのである。しかし、開化によって世の中の苦痛が少なくなる訳ではない。むしろ、いまは生きるか死ぬかではなく、生きるか生きるかの争いとなって、尚のこと生きにくい。

以上は一般の開化の話。日本の開化というのはまた別であり、これは外から強いられた開化である。西洋が百年かけたのを、十年で行おうってもんだから、「皮相上滑りの開化」になってしまう。波が波を生み出すのではなく、外からきた波に無理やり乗らされているだけなのである。



この本について


わたしの中学・高校の国語教師は、漱石を読まずに日本語を語るべきでないと考える人であった。授業時間の関係で漱石をとりあげることはなかったが、「こころ」は是非読みなさいというので、そのときは特に何を思うでもなく読んだ。彼の口癖は、日本人は自由に義務が付随することを解っていない、精神が近代化しきっていない、というものだったが、その元となったのがこの講演なのは明白である。そんなもの日本人に限ったことではないだろう、と当時わたしは考えていたが、今となってはそんな気もする。

さて、これは1911年に和歌山で行われた漱石の講演を文字に起こしたものである。漱石はこのときの体験をもとに「行人」の一部を書いたらしい。わたしは青空文庫という有り難いサイトを利用して読ませてもらった。講演なので、冗談がよく入り、また謙遜や、その場で思いついた例なんかも、小説とは違って、好い。

真新しい議論ではないが、果たして百年前はどうだったのか。果たして日本人は近代化されたのか。いまでも通用するような気もするし、近代以降に生活する吾々にとっては古臭い議論のようにもきこえる。少し話しぶりが冗漫で、まとめてみるとつまりは上の要約以上でも以下でもないので、明治の知識人がどのような話し方をしていたのか、ということに興味がない限り読む必要はあまりないのかもしれない。

10/7/2012改


現代日本の開化(青空文庫)

2012年3月28日水曜日

創造の方法学(1979)

高根正昭:社会学者。1931年生まれ、1981年没。学習院大学政治学科卒業。カリフォルニア大学社会学博士。カリフォルニア州立大学助教授、上智大学教授を歴任。「日本の政治エリート 近代化の数量分析(中公新書)」という良書を残しているが(未読)、残念ながら早逝されたため、著書は多くない。


要約


米国における大学教育では、小論文が重視され、主題に関する従来の学説の検討、分析、引用文献の呈示が求められる。さらに進んだら仮説の提出、その検証までも求められるかもしれない。これまでに生産された学術的成果に何かひとつでも付け加えることが重視される。

問題解決のための基本的な要素は、「『原因』と『結果』とを明瞭に定めて、問題の論理を組み立てる方法」のことである。原因と結果の因果関係を、「なぜ」という疑問に答える形で説明すること。命題(proposition)とは、判断を言葉で表したもの。そして、因果関係に関する二つの要素の論理的な関係は、仮説(hypothesis)と呼ぶ。仮説とは、結果となる現象が一定の方向に変化するような、条件に関する立言statementと定義できる。

記述(description)と説明(explanation)とは区別されるべきである。説明の方がより高度な研究。記述は現象を客観的に記録する。そこに「なぜ」にこたえるものではない。説明は、なぜ、という疑問から、結果として扱われる現象と、その原因となるはずの現象とを論理的に関係させる行為である。仮説の複合体をモデルという。現実のいくつかの特徴をぬきとってつくった模型のことである。

まずどの現象を説明しようか考える。そして、それの原因が何かを考える。まず最初に思いつくアイディアを大切にする。これは我々の固有の経験による場合が多いから、独自の見解になっておもしろい仮説を提出できる可能性があるからだ。

われわれがふだん事実(fact)とよぶのは、現実を概念(concept)によってきりとったものである。概念の修正、または新たな概念の創出こそが知的創造において極めて重要。実際には概念を具体化した指標を定めることが必要になってくる。作業定義では仮説、
そして一般的概念では理論となる。

結果は従属変数(dependent variable)、原因は独立変数(independent variable)とふつうよばれる。変数とは、数値をもった概念のこと。従属変数と独立変数の間には、時間的な前後関係がある。二つの変数は共変関係にある。独立変数以外の変数は、ふつう変化のないことが前提とされる。人工的に変化が統制された変数、あるいは変化しないと仮定された変数はパラメター(parameter)と呼ばれる。実験の場合は、実験群(experimental group)と統制群(control group)というふたつのできる限り等質な集団をつくる。

コンピュータによるサーヴェイ・リサーチの章は割愛。多変量解析が説明的である、など。

前章を受けて、質的方法も重要であることを説く。組織的比較例証法(systematic comparative illustration)によって、社会科学的に、質的分析を試みることができる。概念的に変数を操作し、因果関係についての推論を行い、歴史的資料によって、その推論を実証しようとする。引用される実例は、恣意的にならざるを得ない。

参加観察(participant observation)という方法もある。現場で、よい情報提供者と信頼できる関係を築く。事例がひとつということは、変数間の関係が固定で、その数値に変化がないということ。科学的には初歩的な調査法である。逸脱事例の調査は、比較例証と似ている。人類学もそう。



この本について


社会科学をやるなら、まずこれを読みなさいといって教授に薦められた本。1979年の発行から30刷以上を数える、社会科学方法論の日本における古典。買った後にパラパラとしか読んでいなかったので、端から読んでみた。現実をどう切り取って、捉えるか、という社会科学の真髄を解説したもの。かなりガチガチの方法論の記述が多いので、要約が引用ばかりになってしまったのは申し訳ない。

著者自身の留学経験が豊富に盛り込まれており、自慢話にきこえるようなきらいもある。アメリカ絶対主義的な感じもあるかもしれない。が、まあ話をわかりやすくしてるっちゃあしてる。同じ方法論でも留学先の学部で読まされたエヴェラなどと比べて具体例がわかりやすい。ちなみにエヴェラはほんとうにつまらなかった(笑)。日本の学部でも、社会科学的な方法を重視する教授の講義では、方法論に一コマ程割かれていた覚えがあるが、行政学の教授は、ヴェーバーの例など、この本を大いに参考にしているんじゃないかと思う。その教授はキング・コヘイン・ヴァーバも引用していたようだ。政治科学の方法論に限っていえば、私としては有斐閣アルマ「比較政治制度論」の序がわかりやすく、まとまっていたと思う。
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17/10/2012改

2012年3月24日土曜日

首長の暴走 あくね問題の政治学(2011)

平井一臣:1958年生。鹿児島大学法文学部教授。九州大学大学院法学研究科単位取得退学。法学博士。専門は日本政治史、地域政治。著書・論文多数。阿久根問題と地方政治を分析した他著書(未読)がある。



前提


2008年から2011年にかけて鹿児島県阿久根市長を務めた竹原信一氏の市政について、多角的に分析する試み。阿久根市は人口二万強の小さな町であり、これが全国に知れ渡るようになったのは竹原氏による破天荒な政治手法による。

ブログ市長竹原信一の市政 (彼のブログ「住民至上主義)」


小泉構造改革が産み出した地方の疲弊が背景にある(地方交付税交付金の大幅削減など)。竹原は二年半市議として、斎藤市政を批判。12年務めた前市長の後任が一本化できないまま、三つ巴の選挙へ。接戦を制し、市長に。選挙期間中にもブログを更新、「改革派」を自認←市役所人件費・市議の削減、市民サービスの拡充を公約。

落としたい議員ネット投票、市職員給与公開問題、一連の騒動にマスコミは好意的であった。市議会事務局職員人事を自ら行うも、これは市議会議長に任免権があり理由を付さない降格人事も違法である。税金を使っている意識を高めるため、各課に総人件費を記した張り紙をするも、これがすべて剥がされる事件が発生。不信任→失職→出直し選挙→僅差で国交省出身の田中勇一に勝利

組合の追放、張り紙事件の犯人は懲戒解雇処分に。解雇された職員は不当解雇を訴えて裁判に訴えるも、地裁命令に市長は従わず。障害者蔑視(?)のブログ記事事件。医療の進歩で淘汰されるべき人間が生き残っていると指摘。課税に関する住民情報の提出を要求→担当者の拒否には自らの人事権を示唆することで対応。

マスコミ5社を議場から退去させるという事件が起こる。議会は混乱し、マスコミを退場させない議会に市長は激昂、欠席、以後議会を招集せず。それから、立て続けの専決処分を行う。ボーナスの半減、花火規制条例など。専決処分の違法性を指摘した上申書(ほぼ全職員が署名)はシュレッダーにかけられる。こうした自体に国でも懸念が表明される。鹿児島県から助言及び勧告されるも、市長はこれを無視。同じ頃、後にリコール運動の中核を担う「阿久根の将来を考える会」が発足する。

副市長に元愛媛県警仙波敏郎が専決処分で選任。任命の適法性は甚だ疑問。副市長の進言を受け入れるという形で議会を再び開催。通常、議会の同意が必要な副市長人事は否決されるも、それによって人事を事実上承認したと市長に看做される(もう全く意味がわからない)。市長派の議員がたてこもる、議会籠城事件が発生。リコール→出直し市長選→リコール運動中心人物の西平氏に僅差で敗れる。

問題点


劇場型政治→しかし感情的な対立より一部マスコミ排除。自分の意図が思った通りに報道されないことへの憤り。ブログへ映像を無断で添付したことへの抗議に腹を立てて取材拒否、など。ブログを旧メディアが取り上げ、宣伝した、という相乗効果があった。ブログの読者が若年層であることに対し竹原氏の支持者は高齢者が中心。

ラベリングの政治、抽象化された政治、感情の政治。そしてなにより、マスコミが団結して抗わなかったこと。風変わりな市長について報じれば視聴率がとれる、という安直な考えだったんじゃないか?

政治の文法が崩壊しつつある。ジェラシーの政治。要するに世の中の不平等感を煽って人気をとる。二元代表制。権力のチェックは地方自治体の首長では限界がある。だから政治主導は控えるべき。

政治家に限ったことではなく、世論の傾向として新自由主義的心性がある。これが浸透して、改革のためならルールを変えても構わないという空気がある。そしてこれが敵を設定してたたく、ジェラシーの政治へと通じる。自治と民主主義、人権との関係が問われるべき。地方議会を機能させることも大事。「他者や異なった意見を尊重し相互に信頼する態度」に留意しなければならない。地域メディアの重要性。使命感もって、ちゃんと取材に来い、と。



この本について


「何が起こったのか」と「何が問題なのか」と大きく二部にわかれており、前半では主に時系列順で竹原氏の市政を追い、後半ではその地方自治としての問題点を、限られた出典をはさみつつ分析する。ですます調で、非常に読みやすい。前半部は、(おそらく)新聞記事などを元にした、事件、市政の経緯などを記述的に紹介している。阿久根問題入門としてちょうど好い。

現代政治についての記述は、特に批判的な意味合いがこめられた場合、歴史的な文脈、根拠を省いて(意図的にか、単に調べないのか)論じられる場合が多いと思う。そのぶん著者は政治史が専門らしく、批判の際の比較事例も幅が広く、歴史的な文脈に阿久根問題を埋め込んで説明されているので説得力がある。限られた出典というのは、要するに数が少ないということで、一般の読者が興味をもちやすいような文献で、実際に手にとってみるのも悪くないな、というような良書ばかりが選ばれている。

竹原市政全体について、様々な角度で考察するのを目的としている故、政治の議論としては多少パッチィなものを感じた。ただこれも恐らく著者の意図する処で、竹原市政からどのような議論をしたらよいのか、今後の議論に竹原市政から何を学べるのか、というもののとっかかりにすればよい、くらいな考えなのかもしれない。そういうことなら、よい本だと思うし、目的は遂げられているとも思う。

少し気になるのが、前半部で著者が竹原氏の一挙手一投足すべてを批判してしまうような勢いであるという処である。先程のような著者の意図があるならば、それはそれでよいのかもしれないが、如何にも著者が竹原氏を嫌っているようで、理論的な整合性があまり判然しない箇所もある。同じことをやっても、橋下氏に対しては非難が降らないようなのも批判される対象になっているような気もする。同じ政治学者であっても、橋下氏を部分的に支持しながら(東国原氏については知らんが)、竹原氏については政治家として話しにならない、というような判断をする人が多いと思う。

何が竹原氏をここまで嫌われ者にするのか。これは、ひとつひとつの政策の問題ではない。違法な状態をつくりだし、それを意に介さない彼の人間性を疑問視している、というのが本当のところではないか?ポピュリスト的な政治を批判する意見は当然あるだろう。しかし、竹原市政で問題なのは、違法状態が放置されたこと、そして「首長の暴走」を止める術が不足していたこと、これである。

2012年3月14日水曜日

じぶん・この不思議な存在(1996)

鷲田清一 : 哲学者。専門は臨床哲学、倫理学。世の中との関わりを重視する立場。現象学者。京都大学文学部出身、関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長を経て、現在大谷大学教授。著書多数。


要約

「じぶん」は、考えれば考えるほど不確かな存在である。「じぶん」を探そうとして、自分に固有の特性を探そうとすると、ほとんどの場合それは自らに特有のものではない。結局「わたし」とは、我々が個人としての「私的可能性を失って、社会の一般的な秩序のなかにじぶんをうまく挿入していくこと」なのである。心理学者のロナルド・レイン曰く「ありえたかもしれないじぶんを棄てていくこと」が即ち、じぶんになることである。彼はこれを「エクスタシーの放棄」と呼ぶ。この場合のエクスタシーは「忘我」、つまり自分でなくなる、他の誰かになる、ということを意味する。それを放棄するのだから、別のものになる可能性を捨て去って、社会的にこうであるべき「じぶん」に自らを同化させるということである。これを行うには、他人の模倣をする、という前提がある。

自己が希薄になると、規則に従って思考、行動することで、みずからを規定しようとする。これが異常な度合いであるとき、過剰な合理主義とよぶ。もうひとつ、じぶん以外のものを明確にすることで、じぶん自身の輪郭をはっきりさせようとすることもある。そのために、我々は意味の境界に固執する。しかし、これもまた曖昧なものだ。「わたしはだれ?」という問いには、「わたしをかたちづくっている差異の軸線をそのつど具体的なコンテクストに則して検証していくところでしか答えられない(p.49)」。

上のような規則性、排他性とは裏腹に、我々には、じぶんを溶かしてしまいたい、という欲求も存在する。

上述のレイン曰く「自己のアイデンティティとは、自分が何者であるかを、自己に語って聞かせる説話(ストーリー)である」。過剰な合理主義は、他者との関係から十分な自己が配給されなかったことの帰結。逆説的だが、自らに語るストーリーは、それがしっかりしたものであればあるほど、もろく壊れやすい人生をつくる。なぜなら、それが崩れたときに紡ぎ直す必要があるからだ。同一のシナリオにいなければいけない、という強迫観念が、ときに我々を不安に陥れる。じぶんを失い、定義できないものにすることも、ときには必要である。

物語は、共有されなくてはいけない。そしてそれは、共同体の文化に根ざしているもので、他人のものと同じ生地でできている。そう言った意味で他者との関係をとおして「じぶん」は形成される。

他者と精神的に近づいたとき、「じぶん」は強く意識される。それに対し、「してあげる」ことは相手を客体化すること。他者のなかに位置を占めていない不安。「他者」の「他者」としてのじぶん。他者を自分に理解可能なものとしておしこめる。しかし、それはわたしの影にしかすぎない。実際は自らも逆規定されており、そうやって自らのアイデンティティを補強してもらっている。しかし「してあげる」意識はこれを無視してしまう。大切なのは、じぶんは規定できえないものだという意識をもち、相手を規定できないことにいらだたないこと。


この本について

不確かな存在である「じぶん」入門。いくつかの選ばれた研究と、筆者自身の経験より、誰もが抱く「わたしってだれ?」という疑問について考えていく。もちろんそこに答えはないし、著者もそのことを明言しているが、ひとつの分析として非常におもしろいし、平易な語彙をこころがけており、読みやすい。字は大きく、頁数も少ないが、読者に一方的に知識を投げる本ではないので、咀嚼しながら読了するにはそれなりの時間がかかった。一本道の議論ではなく、読み終えた後は雑多な印象が否めないが、そこで出会う小話・例はどれも興味深く、一層の思索へと誘うものばかりである。著者自身が大事にする哲学と日常との係わりがよく考えられている。

わたしはいつも読書をするとき、そこに一片の真実を読みとろうと、そして残りの嘘をなんとかして剥ぎ取ろうとしながら読んでいる。大抵の書物はそこにひとつの真実もないし、むしろそんなものあってたまるか、なのだが、この本については疑いを差し挟む余地がなかった。それはとても危険なことで、この本がわたしの弱みにつけこんだということであり、そんなわたしにはこの本を正当に評価し得ないと思う。よって、以下の考察はこの書物をどうにか批判しようと試みたものである。

この本では「じぶん」を内に探すことの無意味性、他者との係わりが重要である、ということがひとつの主題と言って好いと思う。そのなかで、我々が日々覚える様々な感情を「じぶん探し」に取り込み、説明を加えていく。上述したように、それはとても説得性の高いもので、世の中を「じぶん探し」という断面でスパッと切ってみることができるように思える。それほど「じぶん探し」は大きなテーマなのだろう。むしろ、「なんでも」説明できてしまうようにもみえる…

理論としての不適切性は、その両義性からも読み取れる。我々は自己を確立したく思い、それが不連続だと不安になる。一方、我々は「じぶん」を失いたいという願望も、もちあわせているのだ。これはそういうものだから仕方ない、ということもできるし、そもそもこの両義性は理論の欠陥を表すという解釈もできると思う。

まあ、そんなことはないんだけれども。揺らぎ、両義性こそが現象学のエッセンスであるのだ(この分野については不案内なので間違っていたらご指摘願います)。上の指摘はこじつけだし、まったく的外れなのはわたし自身承知している。わたしがこのことについて今まで考えないでおこうとしていたこと、そうやって揺さぶられることがこの本への評価を曖昧なものにしてしまう。いや、むしろその事実こそがこの本を評価しているということなのかもしれない。いづれにせよ、この本は時を経た後、再び読まなければいけないのは確かである。


10/7/2012改