2013年1月23日水曜日

羽生善治の思考(2010)

羽生善治:1970年生。将棋棋士。1985年に中学生でプロになって以来、無類の活躍をしている。現代将棋界のサンプラス。


将棋の世界は、プロ入りしてからが長い。いま160名の棋士が日本将棋連盟に所属しており、年間60戦ほどの対局を各々こなしている。将棋を指すときには、事前に対局相手の研究をすることが大事で、その人の指し方をみた上で対局に臨む。実際に指すときには、過去の対局を思い出して、それがどのような結果に終わったか、などを考える。「運命は勇者に微笑む」を座右の銘としていて、決断こそが最も大切だと感じている。決断の結果と責任引き受けること、それは、年齢を重ねるに従って学んだことである。

膨大なデータを分析し、判断を下す際に、整理し、選択し、まとめるというプロセスがある。その次にくるのがアイデアを思い浮かべる、という段階。しかし、こればかりだと、いままでの判断がむしろ新しいアイデアがでてくるのを阻害することがある。その場合はいったん「忘れてしまう」というアプローチをとることもある。

美しい棋譜を残したい、というのは日頃から思っている。相手の長所を潰そうとすると、低レベルな争いになってしまう。美しい、という感覚的なものさしによって、手を選ぶときに近道ができる。

25年やってきて、ブレーキを上手くきかせられるようになってきた。若い頃はがむしゃらにアクセルを踏んでいたが、上手にブレーキを踏むことを学んだ。ただ、意識してアクセルを踏み込まないと、自然と減速してしまうようになったから、気をつけている。将棋の世界では、指し方や戦略が目まぐるしく変化するようになってきた。変化の激しいところでは、可能性の低いものには目がいかなくなる。しかし、ここで手間をかけたいものだ。


この本について

専門的なものばかり続いたので、こんなのもどうでしょう。羽生善治氏は、全7タイトルのうち6タイトルで永世称号をもつ、不世出の天才棋士である。

主に将棋の世界で生きる上で、羽生名人が大切にしていることが語られる。200頁あるが実際は70頁くらいのボリュームである。上の要約は、パラパラ読んでいて気になったところをまとめた。

2010年の時点で、羽生名人は既に25年、日々将棋をさしてきて、そのあいだ何を考えて生きてきたのか、想像し難い世界なので、おもしろかった。父親の知り合いに「このまま石を眺めて一生を終えるのかと思うと厭になった」と言って、プロの囲碁棋士になる道をやめて医者になった人がいた。

しかし、羽生名人はそうは考えていないようだ。将棋の世界は、吾々の憶測をはるかに越える、変化に富んだものなのだろう。羽生名人は繰り返し、ともすれば保守的になる自身を戒めている。変化を恐れぬこと、日々研究を怠らぬこと、そして決断すること。羽生名人は、生き生きと、将棋を指しているのだ。

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