河合隼雄:心理学者。臨床心理学の大家で日本におけるユング研究の第一人者であった。故人。
要約
我々はこども時代の豊かな宇宙を忘れていくことで大人になっていくのかもしれない。 子どもは家出をしたがる。家出は、文字通り自立への意志、そして個としての主張である。家出の直接のきっかけは、親の兄弟間の取り扱いが不公平なことに不平をもったからだとか、そういったことだが、意識しない原因として、日常が日常であること、があげられる。つまり、自分が世界でひとりの自分なのに、日常がそれを許してくれない事態を憂うのである。アイデンティティの確立が家出のひとつの要因となりうる。
家出といえない家出もある。それは、家がそもそも家でない場合である。このとき、子どもは家の不在を訴えているのである。そうして暴力団など擬似家族へとのめりこんでいく。
子どもにとって秘密というのは大きな意味をもつ。秘密をもつことは、つまり「わたしだけが知っている」ことだから、わたしの独自性を直接担保するものなのだ。アイデンティティは他者との関係でうまれてくるが、他者は思い通りになってくれないので、自分の存在を証明してくれるには不安定である。一方、秘密はわたしだけのもので、他人に依存しないから、よほどしっかりとしたアイデンティティの支えとなるのである。
秘密は保持していることに意味がある一方、それを誰かと共有したくもある。ここにアイデンティティの難しさがある。ひとりで抱えることに価値があるし、それを共有することにも価値があるのだ。
子どもは動物を通して重要な経験をすることがある。ある動物が身代わりとなって死ぬことで、子どもが以前の自分と決別して成長することもある。親が子に急激な改善を願うきもちには、相手の死を思うこころが宿っている。そして、子どもは自らを投影していた動物が代わりに死ぬことで、かわることができる。
子どもには、ファンタジーに引きこもる時期がある。それは、心を支える内的充実として、その年代の子どもに必要なものなのであって、この場合、子どもは「さなぎ」の時期にいるといえる。だから、それを決して邪魔してはならない。
児童文学で、主人公が時空をこえた旅をする類は多い。その際は、「あちらの世界」への「通路」が用意される場合がほとんどである。「通路」によってわたしたちは自分たちの世界が「あちらの世界」と地続きであることを感じる。「こちらの世界」は「あちらの世界」に裏打ちされており、大人はふだん忙しさにかまけて「こちらの世界」しかみていない。そうして、子どもの豊かな「あちらの世界」を軽視してしまうのである。
導者があらわれ、子どもを導く児童文学も多くある。かれらは往々にしてトリックスター的性質を備えており、主人公の存在そのものは大切にしているが、イデオロギーには価値を置かない。逆に子どもが老人の導者となる場合もある。
この本について
さいきん要約をつくろうとする度に思うのだが、新書とはいえ一つの明確な主張をもった本というのは少ない。本書も例外ではなく、その魅力は著者の豊富なライブラリから選ばれた数々の児童書の紹介と、それの読解である。なのでここにまとめてある内容は、そもそも著者の意図したところではないかもしれないし、断片的でわかりにくくもある。
かつて、子どもは、小さな大人であった、ということを高校の世界史で習った覚えがある。いま、我々にとって、子どもというのは希望に満ち溢れた存在であり、大人になる前の「さなぎ」である。子どもは、自らの中に、やわらかい、傷つきやすい、想像力豊かな宇宙をもっている。大人はそれを大事にしなければいけない、というのが本書の云わんとする処だ。
わたしは理論派な文章の方が読みやすいと感じる質だが、筋が通っている本は、面白くないし、多くの場合において幾度も読み返すということをしない(する必要がないし、したくもない)。本書は、どちらかというと著者の「心を打っ」たエピソードだったり、「感動した」話を集めたものであって、読者も一緒に心を震わすことを期待されている。だからおもしろいし、紹介された児童書はすべて手にとってみたくなる。